平凡でつまらない結論――苦痛に耐える能力2014年12月05日 08時30分31秒

先日の「ラメッシの教え」の会のあとで、カフェで皆さんとお茶を飲んでいるとき、どなたかが、私が以前にブログで紹介したタデウス・ゴラスの「Love & Pain」について日本で出版される可能性について尋ねられた――たぶん、私の見通しでは、日本では当分出版されそうにない。テーマが「苦痛」で、本の雰囲気は物理学の教科書のような感じなので、前著の「怠けもののさとり方」のファンの読者を失望させる可能性が大で、売れることも期待できそうにないからだ。
 
私自身は物理学は好きなので、物理学的雰囲気の「Love & Pain」は好みで、ここ数年間、時々読んでは、彼がテーマにしている「苦痛」についてよく考え、そして一つの結論に到達した。それは、スピリチュアルな探求と世俗的事柄(仕事や人間関係など)の両方において、共通する重要な成功の鍵がもしあるとすれば、それは「苦痛に耐える能力」であるという結論だ。この平凡でつまらない結論に至って、一人で苦笑いした。 そして、先日も、「苦痛に耐える」という話をカフェで最後に皆さんとして、そのあまりの平凡さとつまらなさにみんなで再び大笑いしたというわけである。

タデウス・ゴラスは、「Love & Pain」の中でさらに、至福や喜び、快楽や快適さをあまりに求めたり、売ったりする傾向のあるスピリチュアルな世界と世俗世界の両方に強い警鐘を鳴らし、苦痛への耐性が大きい組織(人体、会社、国家)ほど「強い」と断言する――彼は「苦痛に耐える」ことを道徳的観点から語っているのではなく、物理学的観点から語っているので説得力がある。

とはいえ、彼だって若い頃はドラッグまみれの生活を送っていたわけで、「苦痛のない悟りや至福の状態」を追い求めることが、さらなる苦痛や失望を招くという彼の話は、ある程度の年齢になったり、しばらくスピリチュアルな探求をやってみてからではないと、なかなか理解されないことだろう。

人間はいつも苦痛を避け、喜びを得たいと思っている。それはスピリチュアルな探求をしている人たちもそうでない人たちも、その傾向はまったく同じだ。むしろスピリチュアルな探求者のほうが、苦痛を回避して喜びを得たいという願望がはるかに強いし、何かの苦痛からの解放を求めて、スピリチュアルな道に入って来る人がほとんどである――どこかに苦痛のない悟りや至福の状態があるのではないかと。

しかしやがて、「苦痛のない悟りや至福の状態」、あるいは「苦痛のない仕事や人間関係」が幻想であると気づくときがあり、その気づきは早ければ早いほど朗報である。気づいたとき、人は幻想を未来に追い求めることをやめ、今ここにいて、今ここにあるもの、苦痛であれ、何であれ、それと現実的に付き合うようになる。

ただし、私が言わんとしていることは、ただやみくもにイヤイヤあらゆる苦痛に耐えるという意味ではない。「苦痛に耐える」は本当は非常に微妙なことで、何かに関してどこで耐えるべきで、どこで耐えるべきでないかは、一人一人ががまったく異なるポイントをもっている。つまり、スピリチュアル、仕事、人間関係、その他で、何に耐えることができて、何に耐えることができないかは、まったく人それぞれだ。

だから、そこから生じる苦痛に耐えられるものを選択し、継続する――実際は、選択する個人がいるわけではないが、見かけの個人の観点で言えばそういうことになり、苦痛に耐えられれば、そのことで成功する確率が高いとは相対的には言うことができる。

本日、ネットでアメリカ大リーグのヤンキースにいるイチロー選手の話をたまたま見かけたので、読んでみた。彼はヤンキースを解雇され、他の球団へ行く見通しだいう。ヤンキースでの数年間、彼は出場機会にあまり恵まれなかったらしい。それでも彼の素晴らしいところは、毎日誰よりも早く球場に到着し、体の準備をととのえ、心の準備を整え、出番に備えているところだ。出番がないかもしれないベンチで、じっと待っていることはおそらくかなりの苦痛だろうと想像する。もし彼が過去の名声やプライドにしがみついていたら、その苦痛には耐えられないはずであるが、彼の場合はいつでも名声やプライドよりも野球への情熱が勝つ。野球のためなら、どんな苦痛にも耐える――彼は野球選手というより、ほとんど野球求道者だ(実際彼は試合前、ロッカールームで目を閉じて瞑想しているそうである)。

さて、ラメッシの「意識は語る」もようやくもうすぐ発売の予定である。この秋は、ラメッシの教えについて書いたり話したりすることが多かった。彼の教えについていつも思うことは、「すべては神の意志」という教えだって、エゴには苦痛であり、肉体精神機構との一体化が強固であればあるほど、苦痛なはずである。マハラジ、ラメッシのところへ修行系の人が来て質問すると、たいていそこにはエゴから来る苛立ちというか苦痛がある。長年悟りの境地を求めてキツイ修行をしてきた人が、「『誰も』悟らない」「悟りが起こるかどうかは神の意志」と聞かされることは非常に苦痛のようだ。ラメッシは、「意識は語る」の中で、悟りが起こる一番重要な前提条件は、「悟りをあきらめること」とまで言っている。

 結局、 人生で重要なことは、みんな平凡なこと……「苦痛に耐える」「あきらめる」……本当につまらない話になりました(涙&笑)。

[お知らせ]

「意識は語る――ラメッシ・バルセカールとの対話」 (ラメッシ・バルセカール著 ナチュラルスピリット)
2014年12月下旬発売予定。価格、目次等は下記のサイトに掲載してあります。