最近読んだ本から ― 2025年05月25日 08時56分33秒
『数学が見つける近道』マーカス・デュ・ソートイ(新潮社)
『死ねない理由 』ヒオカ(中央公論新社)
お知らせ ― 2025年04月20日 13時32分31秒
2025年5月11日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで
*オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2025年5月18日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
*オンライン「非二元の探究――実験と瞑想の会」
2025年5月4日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年5月22日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
上記のイベントについての詳細はこちらへ
[新刊発売お知らせ]
ナチュラルスピリット発行)発売。
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』 ― 2025年04月01日 10時30分12秒
ナチュラルスピリット発行)発売。
絵画のタイトルが気になる(笑) ― 2025年03月17日 16時58分05秒
ナチュラルスピリット発行)3月下旬発売予定。
先日、上野の東京都美術館に、「ミロ展」(Joan Miro スペインの画家。1893~ 1983)を見に行った。去年は、同じく東京都美術館に、「デ・キリコ展」(ジョルジョ・デ・キリコ。イタリアの画家。1888~1978)を見に行った。ミロもキリコも若い頃、なんとなく好きだった画家で、久しぶりに本物の絵を見て楽しかった。
*Iamからのラブレター
*君が見た私ではないもう一つの自画像
*私の宇宙頭の中で遊ぶ愛しい小人たち
*君を想う夜に切なく降りてくる愛
*人間的愛の阿修羅的変身
*愛を知らない子供たちのために泣く神
我見て
「見ろ」三昧
ご質問への回答 ― 2025年03月08日 15時05分50秒
ナチュラルスピリット発行)3月下旬発売予定。
結局、人生は、普通に生きるしかないのでしょうか?」
[ラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の教えについて、Gemini(生成AI)に質問したら、良い回答が来ました。以下のリンク先の文章の感想を高木さんにいただけたらな、と思います。よかったら、読んでみてください。
note
悟らなければいけないと思うことは、条件付きの肯定であり、「今」にいないのではないか? 非二元論や仏教の悟りについてです。二元論や仏教の悟りについてです。
ハムさんが書かれている、「私は、悟りや人生に期待しすぎなのでしょうか? 結局、人生は、普通に生きるしかないのでしょうか?」というご質問(でしょうか?)ですが、生成AIシンプル堂の回答は:
「はい、あなたは悟りや人生に期待しすぎです。結局、人生は、普通に生きるしかありません」(←身も蓋もない回答)
アジャシャンティの警告 ― 2025年02月24日 07時14分10秒
*仮に人に霊的目覚めや悟りの体験があったとしても、それはその人が完璧であることを保証しない。
*人はある面では、非常に明晰でありながら、他の面がまったく成長していない、ということはよくある。
*霊的洞察があるからといって、すべてを正しく知っているとはかぎらない。
*私たちは悟りとはそのようなものであってほしいという幻想をもっているし、悟りは人に自信を与えるかもしれないが、それは自信過剰になり、自分を騙すことになる。
*私は以上のようなことがOshoに起こったのだと思う。自分はその場にはいなかったが、ドキュメンタリーを見ると、そのように見える。
「ディストピア」と「ユートピア」 ― 2025年02月05日 09時20分15秒
2025年3月2日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで
1.生存は文明の第一の欲求である。
2.文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である、
ご質問への回答 ― 2025年01月31日 09時08分29秒
2025年3月2日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで
『しつこいタイプです』さんへの質問の答
[昔シンプル堂さんに言われたひとことがどうしても許せません(お前は本を読まないと言われ、バカにされたようだった)。どのように考えたら、この心のとげを抜くことができますか。また、本を読むか読まないかが、そんなに人生で大事なことでしょうか。]
上記のコメントをいただいたので、本日は予定を変更して、ご質問への回答を書くことにします。
まず、「本を読むか読まないかが、そんなに人生で大事なことでしょうか」へのご質問の答えは、読書という行為が大事な人もいれば、そうでない人もいるということです。もし『しつこいタイプです』さんが本を読まないタイプなら、あなたにとっては、読書は人生の大事ではない、ただそれだけの話です。
さて、上記の質問では、私、シンプル堂が、『しつこいタイプです』さんに直接、「お前は本を読まないからダメな奴だ」みたいな主旨の発言をしたと書かれています。私の記憶の中では、そのようなことを誰かに直接言った記憶はないですが、私ももう70年以上肉体的に生きています。昔のことは忘れていることも多く、言葉のはずみで誰かを傷つけるようなことを言った可能性はおおいにあります。もし『しつこいタイプです』さんにそう受け取られる言動を私がしたとすれば、『しつこいタイプです』さんの感情に気遣えなかったことを改めてお詫びします。
ここからは一般的な話になりますが、人が誰か他の人の言葉に傷つくのはどういうときでしょうか?
私自身の経験では次のどれかの理由、あるいは全部の理由によります。
1.自分自身の価値、人生よりも、相手の言葉に価値を置いている。
2.自分自身が信じていることよりも、相手の言葉を信じている。
3.自分も、相手が言うことを本当は信じている。
そして、もしこの回答を読んでも、まだ『しつこいタイプです』さんの心の棘がぬけないようなら、シンプル堂が書いているブログ、関わっている本、その他を今後は一切見ない、読まない、接近しないことをお勧めします。
なぜなら、人間のマインドは、
Out of sight,
Out of mind (去る者は日々に疎し)、
つまり、「目にしなければ、忘れていく」ようにできているからです。
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