白米愛2025年06月10日 07時04分18秒

[新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。付録に、『シンプル道の日々3』(2022年~2024年)も掲載しています(総文字数約20万字。新書版2冊くらいの分量です)。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。



〔Youtube]

U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(11

https://youtu.be/QCW7zJdKX8Y

 

[お礼]
新刊書籍をご購入・購読いただきました皆様、どうもありがとうございました。


今から、7、8年前の秋のある日のことだった。いただいた新米をせっかくなので、雑穀を混ぜないで、白米で食べることにした。そして炊きあがった白米を一口食べたときに、私に衝撃が走った。「白米って、こんなにおいしかったんだ!」と。長い人生の間、食べ物に衝撃を受ける経験はそれほどあることではない。思い出に残るほど「衝撃的においしい」が数回、そして、「衝撃的にまずい」も数回くらいか。

その日、もう一生死ぬまで自宅では何も混ぜない白米を食べようと決心した。更迭された農林水産大臣と同じく、私も大人になってから(ほとんど)お米を買ったことがない。親戚の方にいただくおいしいお米をずっと食べてきた。だから、おいしいお米しか食べたことがないというありがたい身分である(と、私がこう言っても、私は政治家や官僚ではないので許していただけると思う)。それでも、健康のためにとかそんな理由で、ずっと雑穀を混ぜて食べてきて、それもそれでおいしいと思ってきた。

しかし、あの日以来、私は白米愛に目覚め、炊き方までかなり研究するようになった。今は炊飯専用の土鍋で炊いて、まあまあ満足のレベルである(でも、ここでも「体質」と「好き」が合わず、私は悲しくも炭水化物をたくさん食べれない体質である←若い頃はそうではなかったのに)。ここ数年は、他のブランドのお米も食べてみようと思い、一年に1回くらいスーパーでも買っている。ブランド米の無洗米が思った以上においしいのでびっくりした。

ここ1年の令和米騒動――国民の主食であるお米の値段が2倍以上になっているのに、政府も農林水産省も他の誰もその原因が何なのか、納得の答えを出していない。そもそもお米は国民の主食だというのに、お米を作っている農家の人たちの多くが農家専業(=つまり、お米を作る仕事で、家族を充分に養える)でやっていけるほど儲からないという話を聞いている。私の親戚の方も別の仕事と兼業で家族を養っていたし、後継者もいないようなのであと何年やれるかわからない状況である。

先日見たネットのニュースで、新しいやり方でお米を作っている若い人たちが紹介されていた――水田ではなく、乾いた土地でお米を作る方法とかで、水田で作る従来の方法よりはるかに省労働になるという。情熱をもつ若い世代の人たちが米作りに参入し、省労働と儲かる農業、そして「おいしいお米」が両立するように色々研究工夫している姿を見ると、これからの日本の農業に多少希望が持てる。

それでもと、私はお米に関しては悲観的に思うのだ。たぶんこれからの時代は財力とお米へのこだわりに応じて、自分のお米を選ぶ時代になると。つまり、国産のおいしいお米はたぶんすべての人には安い値段では行き渡らないということだ。私が5年後、10年後に国産のおいしいお米を余裕をもって買えるほど財力があるかどうか……でもお米のためだったら、私は他の出費を削ってもおいしいお米を買うとは思う。

さて、小泉大臣が国民にばら撒いた備蓄米(令和の「お救い米」(注))。備蓄米は元々は国民の税金で政府が買ったものだから、国民が備蓄米を安く買えるとすれば、国民が払った税金のおかげで安く買えるという意味だ。そして、小泉大臣(ヒーロー)対それに対抗する農水族のおじいちゃん政治家(悪者)というドラマまで演出して、昔、小泉大臣のお父さんもよく使った戦略だけど、「自民党、お前もしたたかよのう」という感じだ。それで石破政権の人気が上がり、次の選挙で自民党に有利に働けば、備蓄米は「国民を救う」というより、「自民党をお救い米」という自民党にとって一番ありがたいお米となる。

(注:「お救い米」(御救米)は、江戸時代に幕府や領主が飢饉や災害などの際に困窮した庶民を救済するために支給した米のこと。これは、特に飢饉や火災、水害などで生活が困難になった人々に対して、応急的に配られる施米。)


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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最近読んだ本から2025年05月25日 08時56分33秒

〔新刊お知らせ]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。付録に、『シンプル道の日々3』(2022年~2024年)も掲載しています(総文字数約20万字。新書版2冊くらいの分量です)。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。



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『欧米に寝たきり老人はいない』宮本顕二・宮本礼子(中央公論新社)
前回のブログでも紹介した本。肉体年齢60歳を超えた人、そして高齢の親がいる人たちに読んでもらいたい本。


『笑わない数学1&2』NHK「笑わない数学」制作版(KADOKAWA)
NHKで放送された番組の書籍版。数学の難問に挑む数学者たちの姿が生き生きと描かれている。数式はたくさん出てくるが、文章は読みやすい。

過去10年間、私が一番たくさん読んだジャンルの本がたぶん数学だ。スピリチュアル系の本よりはるかにたくさん読んでいる。数学が私にとって興味深い理由は、数学者たちの情熱、「こんなことを考え続ける人がいるんだ!」という驚き、そして、数学に関する発見・証明は、時代と地域を超えた普遍的なものであり、そして最後に、数学の世界に人間の感情が入らないからだ。地上のゴタゴタから逃げるのに、非二元スピリチュアルと数学はよい逃避場所(笑)となる。

一方で、天才数学者たちの人生そのものは波乱万丈である。自分たちの数学理論の秘密をもらしたという理由で弟子を殺したピタゴラス、20歳で決闘で死んだガロア、その他研究に没頭するあまり精神が崩壊する人たちなど。

数学に関心がある人は非常に少数だと思うので(それでも本の出版件数から推測すれば、非二元スピリチュアルよりはるかに多数のはず)、今までブログの中で数学の本は紹介してこなかった。おまけに私がこれだけ数学の本を読んではいるのに、数学をほとんど理解もしていないので、わかりやすく説明もできない。「好き」と「能力」のミスマッチ、とても悲しくはあるが、それでもめげずに(笑)私は今日も数学の本を読んでいる。そして、数学への関心が広まってほしいとも思っている(お金はかからないので、老後の趣味にお勧めです)。

その他一般向けのお勧めの数学の本
『数式のない数学の本』矢沢サイエンスオフィス編著(株式会社ワン・パブリッシング)
数学がいかに私たちの生活に入り込んでいるか、数式を一切に使わずに説明している。

『素数の音楽』マーカス・デュ・ソートイ(新潮社)
『数学が見つける近道』マーカス・デュ・ソートイ(新潮社)
最近私が非常に好きなイギリスの数学者のエッセイ。数学の魅力が深く味わえる。翻訳も非常にいい(感じがする)。

『フェルマー最終定理』サイモン・シン(新潮社)
17世紀にフェルマーが残した数学界最大の「超難問」は、いかにして解かれたか。数学者ワイルズが完全証明するまで、3世紀にわたった数学を巡る「歴史ドラマ」を分かりやすく感動的に描く。


『死にそうだけど生きてます 』ヒオカ(CCCメディアハウス)
『死ねない理由 』ヒオカ(中央公論新社)

4人家族で世帯年収が百万円にも満たない貧困家庭(おまけに父親が暴力男)で育った女性が、親族の中で初めて大学まで進学したものの、卒業後も安定した仕事を見つけられず、常に体調不良で、おまけに「貧困な者は身の程を知れ」という世の中のバッシングに怯えながら暮らす日々を綴ったエッセイ。

著者のように、貧困家庭で育った人たちが貧困の苦しみを書くと、批判やバッシングが多く来るという話をよく聞く。世の中の人たちは、貧乏な環境から成功者になった人たちの物語は大好きなのに、貧乏な環境から抜け出そうと奮闘している人たちには、冷たいのはどういうわけなんだろうか? 「貧困な者は身の程を知れ」とは、どんな人たちが言うのだろうか? 親族なのか、同世代の人たちなのか、それとも年上、年下世代なのか? 

いわゆる親ガチャ、環境ガチャを乗り越えるのは本当に大変、と私もそうは思う。でも30歳を超えたら(著者はたぶん、今30歳前後)、自分の貧困を社会や政治や生まれた環境のせいにしないほうがいいのも、私の経験からは言える。なぜなら、親や社会のせいにしたところで、運命は決して好転しないからだ。

そして一方で、貧困に苦しんでいる人たちを批判・バッシングする行為は、そういった批判・バッシングは自分に影響することも私たちが知っておくべきことだ。『怠け者の悟り方』(タデウス・ゴラス著)から引用すれば:

〔今、あなたがある人に、「必要以上の援助を君は受け取るべきではない」と言ったとします。相手はあなたにそう言われても、どうということはありませんが、あなたは自分の言葉に縛られてしまいます。あなたは人から必要以上の援助を受け取れなくなるのです〕(p44)

さて『死ねない理由』の中で、彼女は、最近は、自分の好きなことにお金を使ってもいいんだと思えるようになり、好きな音楽家のコンサートなどに行っているという。そして、そういった「推し活」(自分が好きな人たちを応援する活動)が、自分が「死ねない理由」になっているとも。著者には好きなことをたくさん見つけて、生き続けてほしいと思う。


『愚道一休』木下昌輝(集英社)

室町時代の禅師一休(1394~1481)という人は、酒と女を愛した破壊僧というイメージ、そして、子供の頃から頓智とユーモアにあふれていた明るい人というイメージが強い。しかし、本書で描かれている一休は、後小松天皇(1377~1433)の落胤(らくいん)という複雑な血筋を背負い、仏道を深刻に求道する暗い一休である。「無漏の悪と無漏の善」をめぐる一休と彼の友&敵たちの会話が興味深い。
(無漏=仏道で「悟りの境地」)

*本書で紹介されている一休の歌

嘘をつき地獄に落つるものならば無き事つくる釈迦いかがせん
(嘘をついて地獄に堕ちるというなら、嘘ばかり並べ立てた釈迦はどうなるのだろうか)

今動画で紹介している、U.G.クリシュナムルティも「仏陀はウソつき」(笑)と言っている。


『修道士カドフェルシリーズ』エリス・ピーターズ(光文社)

私にとっては、ミステリーが面白いかどうかは、探偵役の人物が好きになれるかどうかにほとんどかかっている。

本シリーズ(昔途中まで読んでいた)では、12世紀のイングランドのある地域にある修道院を舞台に、そこで起こる数々の事件を鮮やかに推理するカドフェル修道士がとても魅力的だ。カドフェル修道士は、若い頃は十字軍遠征に出かけて、あちこちを旅してまわり、現在は、修道院で薬草を育て、いわばお医者さん的仕事をしている。聖俗の両方の智慧を合わせもつ彼は、政治、経済(金銭問題)、身分制度、男女関係の複雑さを読み解き、事件解決に奔走する。修道院という小さな世界にも、現代の人々がかかえるのと同じような問題がすべてあることに驚かされる。

最近の私の娯楽は、『修道士カドフェルシリーズ』の小説を読んでから、イギリスで昔テレビ放映されたこのシリーズをネットで見ることだ。



[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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目指せ!「寝たきり老人ゼロの国」2025年05月01日 08時12分44秒

[イベント]

*リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都文京区)
2025年5月11日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで

*オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2025年5月18日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

*オンライン「非二元の探究――実験と瞑想の会」
2025年5月4日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年5月22日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

上記のイベントについての詳細はこちらへ


 

[新刊発売お知らせ]


*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行)発売。

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。




日本では高齢者の増加にともなって、医療費もものすごいスピードで伸びている(私もここ数年、医者から薬を処方してもらっている身である)。それで政府も、人数の少ないところから(=選挙に影響が出ないところ)から、医療費の削減を目指そうとして、「高額医療費の自己負担額の引き上げ」が先日国会で議論された。

しかし、日本の医療費の削減って、まず終末高齢者に対する不要な延命治療をやめる、そして、(延命治療をやめる場合に、医者が刑事的に訴えられないように)法的整備をすることあたりから始めるべきではないかと、私は思っている。もう回復の見込みのない老人たちを寝たきり状態で生かしておくことに、どれだけの医療費が使われていることだろうか。高齢世代の福祉や医療のためばかりに税金が使われているという、若い世代の不満ももっともなことだ。

最近、『欧米に寝たきり老人はいない』(宮本顕二・宮本礼子著 中央公論新社)という本を読んで、欧米では、終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は非常識で、むしろ人権侵害であるというあたりに私はかなり共感した。なぜ人権侵害かと言えば、それは本人にとって、ひどい苦痛となるからだ。本書では、2007年にスウェーデンの高齢者医療を見てきた著者たち(お二人ともお医者さん)が、今後の日本の終末医療について考察と提言をしている。

私も会員である、「日本尊厳死協会」の会報には、「親、夫や妻をこんなふうに看取りました」という読者の投稿がたくさん掲載されている。亡くなった人たちが「日本尊厳死協会」の会員である場合、家族は医者や医療機関に「本人の意志で、延命治療を希望しない」ことを強く伝えると、今ではたいてい病院や医者も理解を示し、本人や家族の希望通りにしてくれるという。

しかし、なかには、本人が植物状態になって、家族が、経鼻経管栄養(チューブによる栄養)を流すのをやめて欲しいと頼んでも、病院側から断られることもあるという。

もし今、若者、中年、老年の健康な人たちに、「回復の見込みがないときに、あなたは寝たきり状態で、長く生きたいですか?」とか、「胃ろうして生きたいですか?」と質問したら、ほとんどの人が、そんなふうにして「長生きしたくない」と答えるだろう。 

だから、政治家の皆さんが、「寝たきり老人ゼロの国」のための議論を始めて、国民にも考えてほしいと言ったら、それは世代間の対立なく、みんなに関心をもってもらえる話題だろうし、「医療費の削減とより人間らしい死」が両立する社会が実現すれば大変によいことのはず……。

しかし、「はず……」ではあるが、日本で実現するにはまだまだ長い年月がかかるだろう。

その理由は、「終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は非常識で、むしろ人権侵害である」という考え方は、長い間の日本人の考え方――いかなるときも延命は善であるという医学的倫理価値観、まだ延命治療をすれば生きることができる人を、早く死なせることへの家族の罪悪感などに、価値観の転換を迫るからだ。

人間は考え方、価値観を変えることに非常に抵抗する生き物である。加えて、医療機関や介護施設の都合(←「寝たきり老人」や「胃ろう」は儲かるという身も蓋もない話)なども聞いたことがある。そういった様々な複雑な事情が絡み合って、「もう回復しないことがわかっているときには、安らかに死にたい」という願望が実現しにくい社会となっている。
 
終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は人権侵害であるという考えに私が納得するのは、父が亡くなる前の最後の数か月病院に入院していたとき、自分でもうほとんど食事もとれず、点滴栄養を受けていたときの様子を思い出すからだ。父は「痛い」とか「苦しい」とは絶対に言わない人なので、いつも黙って耐えていた感じだった。私たちは、父が医者と西洋医学をとても信じていたので、「病院で死ぬことが父の望み」と単純に思っていたが、父が亡くなったあとで、最後の1ヶ月くらいは自宅で看ればよかったのかもと後悔した。

さて、昔の後悔はさておき、母の場合(まだ一人で食事はできるし、食欲も衰えてはいない)、心安らかに平穏に看取ることができるのかどうか、家族にも覚悟が問われる感じである。


「日本尊厳死協会」サイト



[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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お知らせ2025年04月20日 13時32分31秒

[イベント]

*リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都文京区)
2025年5月11日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで

*オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2025年5月18日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

*オンライン「非二元の探究――実験と瞑想の会」
2025年5月4日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年5月22日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

上記のイベントについての詳細はこちらへ


*U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(4)

https://youtu.be/uEeS2UOzdJY

 

[新刊発売お知らせ]


*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行)発売。

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』2025年04月01日 10時30分12秒

[新刊発売お知らせ]

*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行)発売。

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


[ お知らせ]




先日より、YouTube で、U.G.クリシュナムルティ(1918 ~2007)『悟りという謎』(原書タイトル「The Mystique of Enlightenment」の翻訳を公開している。

U.G.クリシュナムルティはこのブログで過去に一度だけ話題にしたことがあり、そのときも書いたが、インドの賢者で私が好きな3人の一人だ。

有名なJ.クリシュナムルティのほうは、若い頃5年間、熱心に読んだものの、相性がそれほどよくなかったせいか、正直にいって、彼にはあまり親近感がわかない。しかし、なぜか、U.G.クリシュナムルティには親近感がわき、一時期熱心に彼の本を読んだものだ。本当は紙の本を企画すればいいのだけれど、もう新たに紙の本を企画するだけの体力と忍耐が、年々減少している(紙の本は企画してから、完成までに数年の時間がかかる)。

幸い、彼の本には著作権がない(彼のすべての本に、「自分の教えには著作権がない」ことを公言するU.G.の言葉が掲載されている)ので、このたび、長年読んだ、「The Mystique of Enlightenment」の翻訳を公開することにした。

改めて彼の本を読むと、彼の存在、言葉から一番伝わってくるのは、「怒り」だ。いわゆる賢者の中で、これほど怒っている人も珍しい。何に対する怒りだろうか? 大きく言えば、つまらないものをありがたがっているインド的霊性への怒り、自分の話は役に立たないと言っているのに、自分の話を聞こうとやって来る人たちへの苛立ち、そして、ひょっとしたら、子供の頃に強制的に学ばされた宗教教育にも怒っているのかもしれない。

彼は、20代の頃、自分以上に悟りを得るために努力した人はいないはずだと思っていたくらいだから、幼少期から10代の頃、それはものすごい修行をした(させられた)のだろうと想像する。子供の頃にイヤイヤ強制されたことは、大人になってから怒りがわくほどのトラウマを残すことがあり、私にもいくつかイヤな思い出(私の場合は、先生に強制されたこと)がある。

そんなU.G.クリシュナムルティが語ることなので、彼が語ることが何かに役立つというより、彼の話はすべて、「悟りや解脱を求めるすべての探求者がやっていることは、すべて無駄」、「グルも役に立たず、他人の話も役に立たない」、そして、「自分に起こったこと(49歳のときに、彼自身は「災難」と呼ぶ、強烈な覚醒体験が起こった)は、探求とはまったく無関係」という身も蓋もないところへ収斂していく。

彼は、彼の本を出版したいという人たちにこう言ったと伝えられている。「私の教えを広めるためではなく、金儲けのために本を出版しなさい」。

最後に、「The Mystique of Enlightenment」という本のタイトルについてであるが、直訳すれば、「悟りという神秘」くらいだが、「悟りなどというものはない」、「神秘などはない」と彼が語っていることとは真逆なタイトルで、いかにも本を売るためにつけたタイトル(笑)。

本当は、本書につけるべき正しいタイトルは、「The Mistake of Enlightenment」(悟りという間違い)くらいであるべきで、YouTube のタイトルも、大胆に誤訳して、「悟りという間違い」にしようかと一瞬思ったのだけれど、妥協して、『悟りという謎』にすることにした。たぶん、彼の言葉はほとんど役に立たないだろうし、また私が最後まで、「The Mystique of Enlightenment」の訳を公開できるかどうか(そこまで体力がもつかどうか)未定であるが、興味が湧きましたら、視聴ください。


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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絵画のタイトルが気になる(笑)2025年03月17日 16時58分05秒

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*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行)3月下旬発売予定。

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

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[ お知らせ]


先日、上野の東京都美術館に、「ミロ展」(Joan Miro スペインの画家。1893~ 1983)を見に行った。去年は、同じく東京都美術館に、「デ・キリコ展」(ジョルジョ・デ・キリコ。イタリアの画家。1888~1978)を見に行った。ミロもキリコも若い頃、なんとなく好きだった画家で、久しぶりに本物の絵を見て楽しかった。

とはいえ、私の絵画鑑賞能力や絵について説明する能力はかぎりなくゼロに近く、「なんでミロやキリコの絵が好きなの?」とか聞かれても、「ただなんとなく好き」としか答えようがない。

最近は、絵より、絵画のタイトルのほうがどうも気になる(笑)――何でこの絵にこのタイトルなんだ? みたいなタイトルが多くある。ミロの絵の中で、いわゆるシュルレアリスム(超現実主義)的な絵は、人や物が、人や物に見えるようには描かれていないことが多い。

今回のミロ展の絵画のタイトルで、たとえば、『カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち』のタイトルを見て、どれがカタツムリで、どれが夜の人物たちなのかを、絵の中に野暮にも探そうとしても、さっぱりわからない。あるいは、『ふたつの惑星に追われる髪』にいたっては、「なんで髪が惑星に追われるの?」みたいに考え始めてしまい、絵を鑑賞するより、思考のほうが忙しくなってしまう(愚)。昨年のキリコ展には、『燃えつきた太陽のある形而上的室内』なんていうタイトルもあった。形而上学的室内?って、わけわかんない……

でもまあ、自分がどんなものを描いても、それが人、星、動物に見えなくても、画家自身がそう見るなら、それでOKってところが、シュルレアリスム(超現実主義)絵画の自由なんだなあ、と勝手に納得した。

そして、美術展に絵を見に来ているのに、なぜか絵のタイトルだけが無数に思い浮かぶのが可笑しい。

先日、ミロ展を歩きながら、思いついたタイトル:

*空(くう)が見つめる君の空(くう)で待ち合わせ

*Iamからのラブレター

*君が見た私ではないもう一つの自画像

*私の宇宙頭の中で遊ぶ愛しい小人たち

*君を想う夜に切なく降りてくる愛

*人間的愛の阿修羅的変身

*愛を知らない子供たちのために泣く神

etc.

ということで、何十年絵を見ても、絵画鑑賞能力はまったく成長しないけど、でも、ミロの絵の色彩、色使いは、昔と同じく、「地中海で遊ぶバカンス」のように私を明るく自由な気分にしてくれた。

最後に一句

ミロ見て
我見て
「見ろ」三昧



[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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ご質問への回答2025年03月08日 15時05分50秒

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*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行)3月下旬発売予定。

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ページ数:176ページ


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ハム様の質問とコメントへの回答

[私は、悟りや人生に期待しすぎなのでしょうか?
結局、人生は、普通に生きるしかないのでしょうか?」

[ラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の教えについて、Gemini(生成AI)に質問したら、良い回答が来ました。以下のリンク先の文章の感想を高木さんにいただけたらな、と思います。よかったら、読んでみてください。
note
悟らなければいけないと思うことは、
条件付きの肯定であり、「今」にいないのではないか? 非二元論や仏教の悟りについてです。二元論や仏教の悟りについてです。

[回答]
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。

非常に率直に言って、ひろゆきさんの考えでも、Gemini(生成AI)の回答でも、ハムさんがそれに共感したり、よいと思ったりするなら、それでOKなわけで、それに対して私が何かをコメントすることにほとんど意味を見い出せないです。

ハムさんが書かれている、「私は、悟りや人生に期待しすぎなのでしょうか? 結局、人生は、普通に生きるしかな
のでしょうか?」というご質問(でしょうか?)ですが、生成AIシンプル堂の回答は:

「はい、あなたは悟りや人生に期待しすぎです。結局、人生は、普通に生きるしかありません」(←身も蓋もない回答)



[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
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[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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アジャシャンティの警告2025年02月24日 07時14分10秒

[新刊発売お知らせ]

*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


[ お知らせ]



先日、アジャシャンティのインタヴュー動画(4年前の動画)を見た。
(日本語字幕を出すことができます)

実は、アジャシャンティの動画を初めから最後まで見たのはこれが初めてだった。私は必要があるとき以外、ほとんどスピリチュアル系の先生の動画は見ないのだけれど、たまたま別の動画を見ているときに、なぜかサイドにAdyashanti - On Osho(アジャシャンティ、Oshoについて語る)の動画が出てきて、アジャシャンティがOshoについて何を語ったかに興味がわいたのだ。

インタビューは、冒頭、「あなたは自由時間に何をしているのですか? ネットフリックスとか見るのですか?」という軽いノリの質問から始まり、それに対して、アジャシャンティは、「もちろん、見ますよ。テレビで映画とかドラマも見ます」と答え、それからネットフリックスで見たOshoのアシュラムについてのドキュメンタリーについて語りだした。そのインタビューの最中、アジャシャンティって、こんなに笑う人だったっけ? とちょっとびっくりするほど、彼はよく笑い、楽しそうに答えているのが印象的だった。

彼がOshoについて語ったことは:

*Oshoの中に明晰さがあり、それが非常に多くの人たちをスピリチュアルへと導いたし、彼は最初から、妄想をいだいたペテン師ではなかった。

*仮に人に霊的目覚めや悟りの体験があったとしても、それはその人が完璧であることを保証しない。

*人はある面では、非常に明晰でありながら、他の面がまったく成長していない、ということはよくある。

*霊的洞察があるからといって、すべてを正しく知っているとはかぎらない。

*私たちは悟りとはそのようなものであってほしいという幻想をもっているし、悟りは人に自信を与えるかもしれないが、それは自信過剰になり、自分を騙すことになる。

*私は以上のようなことがOshoに起こったのだと思う。自分はその場にはいなかったが、ドキュメンタリーを見ると、そのように見える。

と、だいたいまあ上記の主旨のようなことをOshoについて語った。私も20代の一時期Oshoの教えと関わったことがあるので、アジャシャンティが語っていることは理解できる。私の印象でも、アメリカでのOshoの団体はかなりあやうい感じがしたものだ(私自身は、アジャシャンティが言及したOshoのアシュラムについてのドキュメンタリーを見ていないが)。

アジャシャンティはOshoのような例は今まで山ほどくりかえされてきたといい、特定の人(先生)を自分より素晴らしい人として、台座に乗せて崇拝しないようにと警告を与えるが、たぶん、悲観的予想をすれば、これからもスピリチュアルな世界ではこの「アイドル化」は永遠になくならないのだと思う。なぜなら、私たちのマインドにとっては、内側(自分の本質、思考や感情)を見るよりも、外側(先生)を見るほう(崇拝するほう)が苦痛がなく、楽(らく)だし、楽しいからだ。

アジャシャンティは言う――人が誰かを崇拝するとき、人は自分の中の最高のものを相手に渡して、相手を崇拝し、そして、最後には必ず相手に腹を立てる(笑)。そして、スピリチュアルな目覚めや悟りの経験がある人にとって、重要なこと、つまり、この「崇拝=アイドル化」を防ぐ一番の防衛は、正直であること、誠実であること、どんなときにも「自分が完璧であるふり」をせず、正直に、誠実に人と接することだと。

人としては、著名な賢者の方々も含めて、誰も完璧で完全ではありえないし、間違いを犯さない人はいない。

以上の話は、アジャシャンティの『あなたの世界の終わり』にも強調されていたが、自分自身も含めて、スピリチュアルに関わっている人たちは、彼のこの警告を真剣に心に留めておきたいものだ。私の理解によれば、「アイドル化」というのは、自分と相手の間に、分離の線を引くことであり、すべての「人を自分と対等な存在に見る」という、非二元の教えに反している。

さて、アメリカでは、自信過剰の人が大統領に返り咲き、自信過剰のリーダーがこの先アメリカと世界にどんな混乱を起こすのか、興味深いことである。読んだ話では、トランプさんが子供の頃、受けた宗教教育は、超肯定主義とも呼べるもので、「どんなときにも、自分は絶対に正しいと信じる」というものだったという。前にも書いたことがあるが、カルト宗教のグルが大統領になったような感じで、これから、現在進行中の政治(宗教)ドキュメンタリ―(タイトル、「ポジティブ王、世界をかきまわす」くらいか)を世界中で鑑賞することになる(笑)。


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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「ディストピア」と「ユートピア」2025年02月05日 09時20分15秒

[ イベント]
◎リアルの会「非二元の探究――主体を科学的に探求する」(東京都文京区)

2025年3月2日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで


◎オンライン「非二元の探究――主体を科学的に探求する」

2025年2月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


[ お知らせ]



 *「Master Key toSelf Realization 」は、今のことろ、25年3月下旬発売予定です。


昨年末に話題にした本、『三体』の続き、『三体Ⅱ(暗黒の森)上・下』(劉慈欣著 早川書房)を超走り読みした。いわゆる「ディストピア」(暗黒郷)のジャンルに入る本で、三体文明が地球に迫ってくる暗い未来の地球が描かれている。地球が暗いだけでなく、すべての文明、宇宙全体が暗い「暗黒の森」であると教える内容になっている。

なぜ「暗黒の森」なのかと言えば、下記の宇宙文明の二つの公理によって、

1.生存は文明の第一の欲求である。
2.文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である、

「ここにいるよ!」と叫んで自分の存在を曝す生命(=文明)は、別の狩人(=文明)によって消滅させられるからだ。

つまり、この公理の意味とは、宇宙の物質の総量(=使える資源)は限られているので、文明同士は常に相手を滅ぼそうと待ち構えている狩人のようなものである。だから、文明は自分たちの宇宙における位置が知られることを何よりも恐れている。それが、人類が他の異星文明に「出会わない」理由であると。

そして、人類が宇宙の本質が黒暗森林であることに気づかなかったのは、人類に愛があるからだという。そして、最後の最後に、第Ⅰ部に登場した地球文明を愛している三体文明の監視員が再び登場し、三体文明にも愛はあるのだが、生存戦略に役立たないので抑圧されてきたと語る。

と、最後まで読むと、「愛があるなんて、人類って案外、いい生き物じゃないか」(笑)と思えるから不思議だ。

小説家、作家、文学はどちらかと言えば、「ディストピア」(暗黒郷)を描くほうが好みというか、彼らのマインドは人間の一番暗い想念を吸収することに長けている。そして、一般的には暗い話のほうが物語の展開としては面白い。最近も、「出産」をテーマにした別の「ディストピア」の本を読んでみた。

少子化が止まらない日本で、10人子供を産んだら、一人を殺してもいい「権利」を得る社会を描いた『殺人出産』(村田沙耶香著)(講談社)。同じ著者の『コンビニ人間』にはまだユーモアがあったが、『殺人出産』には救いがない。たぶんこれほど極端なシステムは実現しないだろうが、日本という国が人口減少で、国家存続の危機ともなれば、(強制とまではいかなくても)若い女性たちに出産を強く奨励するシステムは将来的にはありうるかもと、想像した。なぜかといえば、宇宙公理第一、「生存は文明の第一の欲求である」を国家に当てはめれば、「生存は国家の第一の欲求である」とも言えるからだ。

「ディストピア」(暗黒郷)の反対に、「ユートピア」(理想郷)という言葉がある。私の長年の読書と見聞によれば、スピリチュアル系の人たちは、「ユートピア」(理想郷)がこの宇宙のどこかにあると考えるほうを好む。どこかに「完全なる愛と平和」が実現している惑星があるのではないかと。スピリチュアル系の人たちが好む異星人ジャンルの本には、愛と平和を実現している異星人がたくさん登場して、地球を優しく見守っているという話がたくさん描かれ、小説『三体』とは正反対の宇宙像を提供している。

さて、宇宙は「暗黒の森」なのか、それとも「愛の森」なのか……

たぶん、私が思うには、「ディストピア」(暗黒郷)も「ユートピア」(理想郷)も一人一人が、あるいは特定の地域が経験する世界にしか存在しない。どんな時代のどんな瞬間にも、世界には、いや宇宙には、「ディストピア」(暗黒郷)と「ユートピア」(理想郷)を経験している存在(人類だけでなく異星人も含めて)がいるだろうし、そして地域があるにちがいない。

私にとっての「ユートピア」とは、大昔からずっと同じで、「ユートピア」とは熟睡しているとき、そして瞑想などで、マインドの活動が止まるとき。それが私にとっての「ユートピア」である。そして、最悪の「ディストピア」の時期は、たぶん20代前半の頃だったと思う。その時期はまさに「暗黒の森」という言葉がぴったりの時期だった。最近の一番ひどい「ディストピア」は、真夜中に快適な熟睡が突然に妨害されて、動きまわる母を追いかけては叱りつけて、何度も寝せようとするときだろうか……真夜中に人を叱りつけるなんて最低最悪の気分になる。

20世紀科学界の賢者、アインシュタインは、「神は微妙で奥深いかもしれないが、意地悪ではない」という言葉を残している。もし神が意地悪でなければ、神の作った宇宙も意地悪ではなく、宇宙は暗黒の森ではないだろうと推測できる。またダグラス・ハーディングも、「世界の背後にあるパワーは愛である」という言葉を残している。

そして、いちおうスピリチュアル系に属している私としても、20世紀の賢者たちの言葉に、宇宙は全体としては「暗黒の森」ではないほうに、人生を賭けている。真夜中に「ディストピア」を経験しているときでも、それも「愛かも」……しれない。


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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ご質問への回答2025年01月31日 09時08分29秒

[ イベント]
◎リアルの会「非二元の探究――主体を科学的に探求する」(東京都文京区)

2025年3月2日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2025年2月16日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究――主体を科学的に探求する」

2025年2月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


[ お知らせ]



 *「Master Key toSelf Realization 」は、今のことろ、25年3月下旬発売予定です。


『しつこいタイプです』さんへの質問の答

昔シンプル堂さんに言われたひとことがどうしても許せません(お前は本を読まないと言われ、バカにされたようだった)。どのように考えたら、この心のとげを抜くことができますか。また、本を読むか読まないかが、そんなに人生で大事なことでしょうか。]


上記のコメントをいただいたので、本日は予定を変更して、ご質問への回答を書くことにします。

まず、「本を読むか読まないかが、そんなに人生で大事なことでしょうか」へのご質問の答えは、読書という行為が大事な人もいれば、そうでない人もいるということです。もし『しつこいタイプです』さんが本を読まないタイプなら、あなたにとっては、読書は人生の大事ではない、ただそれだけの話です。

さて、上記の質問では、私、シンプル堂が、『しつこいタイプです』さんに直接、「お前は本を読まないからダメな奴だ」みたいな主旨の発言をしたと書かれています。私の記憶の中では、そのようなことを誰かに直接言った記憶はないですが、私ももう70年以上肉体的に生きています。昔のことは忘れていることも多く、言葉のはずみで誰かを傷つけるようなことを言った可能性はおおいにあります。もし『しつこいタイプです』さんにそう受け取られる言動を私がしたとすれば、『しつこいタイプです』さんの感情に気遣えなかったことを改めてお詫びします。

ここからは一般的な話になりますが、人が誰か他の人の言葉に傷つくのはどういうときでしょうか?

私自身の経験では次のどれかの理由、あるいは全部の理由によります。 

1.自分自身の価値、人生よりも、相手の言葉に価値を置いている。
2.自分自身が信じていることよりも、相手の言葉を信じている。
3.自分も、相手が言うことを本当は信じている。
4.自分自身よりも、相手の言葉にパワーがあると信じている。

ですから、『しつこいタイプです』さんがその心の棘をぬくためには、あなたが自分自身の価値、ライフスタイル、そして、「読書は人生にとっては大事でない」という信念を、シンプル堂の愚かな言葉より尊重することです。

そして、もしこの回答を読んでも、まだ『しつこいタイプです』さんの心の棘がぬけないようなら、シンプル堂が書いているブログ、関わっている本、その他を今後は一切見ない、読まない、接近しないことをお勧めします。

なぜなら、人間のマインドは、

Out of sight, Out of mind (去る者は日々に疎し)

 つまり、「目にしなければ、忘れていく」ようにできているからです。


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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