異星人、たぶん存在するかも……(1) ― 2024年12月20日 06時31分34秒
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*「Master Key toSelf Realization 」の発行は来年となります。諸般の事情で遅れてしまい、お待ちいてだいたいる皆様には、お詫び申し上げます。
たまにSF小説を読んでみたくなる(読書ジャンルとしては、あまり得意ではないけど)。それでこの間、ネットで最近どんなものが出ているのか調べていたら、中国人の作家が書いた『三体』という作品名(劉慈欣著 早川書房)をたまたま目にして、図書館から借りて読んでみた。
ネットの情報によれば、『三体』はヒューゴー賞という権威あるSFの賞をアジア人で初めて受賞した作品だそうで、日本では、2019年に第一部が出版されている。
ネタばれになるのを承知で、超簡単に第一部のストーリーを紹介すると:
話は中国の文化大革命の時代から始まり、中国の科学者、知識人が置かれた過酷の状況が描写されている。そんな過酷な状況を生き抜いた一人の科学者が、地球文明に絶望して、秘かに地球よりも高度の文明に向かってメッセージを送る。そのメッセージの最後のほうは、こんな文章で締めくくられている。
「われわれは理想の社会を建設し、それぞれの人類のメンバーの労働と価値がすべてじゅうぶんに尊重され、すべての人の物質面と精神面の需要がじゅうぶんに満たせるような、さらに安全で美しい地球文明を目指して努力しております。
われわれは美しい理想を抱き、宇宙の他の文明社会との関係を確立することを願っており、またあなたがたとともに、広大な宇宙において、さらにすばらしい生を築いていくことを願っています」
われわれは美しい理想を抱き、宇宙の他の文明社会との関係を確立することを願っており、またあなたがたとともに、広大な宇宙において、さらにすばらしい生を築いていくことを願っています」
礼儀正しく、ていねいな言葉で綴られてはいるが、メッセージの意図とは、「地球は今まで格差、暴力、貧困、戦争などの問題を解決しようと長い間、頑張ってきたけれど、自分たちの力ではもうどうしようもできない。どうか高度の文明の皆様、地球の現状を助けてください」というものだ。
そして、そのメッセージは三体文明という惑星の監視員に受信された。三体文明は地球よりもはるかに高度の科学文明をもってはいるが、生きる環境としては過酷で、彼らは宇宙の中で、自分たちが移住(侵略)できる惑星を探している。
しかも、彼らの社会は超格差社会、独裁国家(地球の北朝鮮のような感じ)で、三体文明では宇宙からのメッセージを監視する仕事、監視員は、社会の最下層の仕事、まったく報われない仕事だ。
地球からのメッセージを受信したその監視人は、三体文明での自分の境遇に嫌気がさし、何の希望もない日々を送っていたところに、未知なる惑星地球から情報が来て、自分たち三体文明に比べて、あまりに美しく楽園のような環境にびっくりし、そこを自分の理想郷と思い描く。
そして、もし自分がこのメッセージを上層部に知らせたら、彼らはすぐにでも地球への侵略に着手し、あの美しい文明が破壊されてしまうことを心配し、自分の独断で地球へ警告のメッセージを送り返す。
その内容は:
「応答するな! 応答するな! (中略)もし応答したら、送信源の座標はただしに特定され、あなたがたの惑星は侵略される。あなたがたの世界は制服される! 応答するな! 応答するな!!!」
ところが、彼の反三体文明的行為は、すぐに上層部に知られることとなり、彼は元首に呼びつけられるが、元首に向かって言い放つ。「社会の最下層にいる何の希望もない自分が、あのように美しい楽園のような文明を知り、彼らを救うことができたら、自分の人生は無駄ではなかった」と。
それを聞いた元首は激怒し(元首は言葉は穏やかではあるが)、彼に最大の罰を与えることを決める。三体文明では、基本、有罪(地球の死刑にあたる)か無罪しかなく、彼は無罪を宣告されたうえ、心理的な罰を与えられた。
その罰とは:
「地球を救うことなどできないと、おまえが確実に知るようにしてやりたい。地球がすべての希望を失うその日まで、おまえを生かしておいてやりたい」
彼を有罪にしない代わりに、三体文明の元首は今回の彼の行為に責任のあった6千人を全員有罪にして、広場で焼き殺すことを決定(←まさに北朝鮮的で笑える)
と、第一部はだいたいこんな感じです。
すでに地球上には、たくさんの三体文明信奉者(三体文明が地球を救ってくれると信じる人たち)がいて、また三体文明は地球のあらゆるコンピュータ・システムにすでにスパイを忍ばせ、地球の情報収集をしている。第二部では、その三体文明信奉者と地球を防衛しようとする人たちとAIスパイが入り乱れて、400年後に迫る(三体文明の技術力でも、艦隊が地球に到着するのに、約400年かかる)地球侵略の話になるらしい(これから読むところです)
私は若い頃から、異星人や異星文明は存在するだろうとは思ってきた。宇宙にはこれだけたくさんの惑星、星、銀河があるのだから、地球だけに知的生命体がいると想定するほうが無理、という理由からだ。
20代の頃、スピリチュアルな本をたくさん読み始めた頃、異星人の話でよく読んだのが、ジョージ・アダムスキーの著作で、『生命の科学』、『テレパシー』(文久書林発行)の2冊の本は今でももっている。今読んでみても、内容は素晴らしい。
しかし、アダムスキーの本は熱心に読んだものの、かといって、私が異星人とか地球外文明に特に関心をもったわけでもなかった。私は本の情報のソース(源泉)が人だろうが異星人だろうが、その他だろうが、自分にフィットすると思うものは熱心に読むし、そうでなければ読まないというだけのことなのだ。あくまでも、私の関心は本にある。
それから、1980年代の後半、バシャール(確か、惑星の名前は「エササニ」だったか)が登場し、スピリチュアル系の人たちはそのチャネリングのメッセージに熱狂し、「ワクワク」という流行語を生み出した。バシャールにはまっている人たちが、あんまり何にでもいつでも、「ワクワク」という言葉を使うのにうんざりはしたが、まあバシャールのメッセージは楽しかった。
それからの長い年月、「異星人」とか「地球外文明」にほとんど関心が向かなかったのが、つい数ヶ月前、数年前に読者の方から紹介してもらった本と、その中の異星人が地球に向けたメッセージの文章を突然思い出した。本のタイトルは、『私は円盤に乗った』(ダニエル・フライ著 ユニバース出版社発行)という本で、著者がコンタクトした異星人アランのメッセージは下記のようなものである。
「地球人は、どんな直接的な試みによっても平和は決して達成されはしないという単純な事実をまだ理解できていないようです。平和は単に、人と人、人種と人種、国と国、それにすべての人々の間の完全な理解と、神として知られている、あまねく広がる力と英知の副産物として自動的に得られるものです。そのような理解が存在しているときには、平和を探すとか平和のために働く必要はありません。平和は自動的に存在します。しかし、これが理解されるまでは、どんな努力も成功はなし得ません」
「まず理解がなければならない…あなた達が使用している理解という言葉は知識、知恵、愛、慈悲としばしば混同されています。これらのすべては望ましい性質ですが、どれも、理解に代わることはできません。あなた方のバイブルでは神と自分の隣人とを愛せよと忠告され命令されています。それがなされたとしたら、それは素晴らしい忠告でしたが、不幸なことに愛は意志に従わない衝動です。忠告され、命令されたという理由ではだれも他人を実際に愛することはできませんし、何か報酬を貰って愛するとしても、あなたは見せかけの愛を作り出し、外見上は完全になし得るかもしれませんが、相手はあなたの偽善の生きたシンボルにすぎません。あなたの心の中には愛などないでしょう。どんな愛や慈悲や知恵がある前にまず、理解がなければなりません」
「地球の人々の文明と社会に最も必要なものは簡単で、人と人の間、国と国の間、すべての人々と自然を制御している偉大なる力と英知の間の基本的な理解です。理解が、あなた方人類が生き残るための鍵です。もし人々の間に理解がなかったら、政府間の協定、協約や保証など全く価値はありません」
「まず理解がなければならない…あなた達が使用している理解という言葉は知識、知恵、愛、慈悲としばしば混同されています。これらのすべては望ましい性質ですが、どれも、理解に代わることはできません。あなた方のバイブルでは神と自分の隣人とを愛せよと忠告され命令されています。それがなされたとしたら、それは素晴らしい忠告でしたが、不幸なことに愛は意志に従わない衝動です。忠告され、命令されたという理由ではだれも他人を実際に愛することはできませんし、何か報酬を貰って愛するとしても、あなたは見せかけの愛を作り出し、外見上は完全になし得るかもしれませんが、相手はあなたの偽善の生きたシンボルにすぎません。あなたの心の中には愛などないでしょう。どんな愛や慈悲や知恵がある前にまず、理解がなければなりません」
「地球の人々の文明と社会に最も必要なものは簡単で、人と人の間、国と国の間、すべての人々と自然を制御している偉大なる力と英知の間の基本的な理解です。理解が、あなた方人類が生き残るための鍵です。もし人々の間に理解がなかったら、政府間の協定、協約や保証など全く価値はありません」
異星人アランの言うことはまったくそのとおりだ。それで私は関心をもち、『私は円盤に乗った』を全部読んでみようと思い、無料英語版PDF(原書タイトル the White Sands Incident)を見つけ、読んでみた。
話は、1950年代のアメリカで起きた話で、ダニエル・フライは円盤に乗せられて、ニューメキシコ州のホワイトサンズから東海岸のニューヨークまでわずか30分で往復した。彼はロケット・エンジンの専門家なので、その道中、円盤の原理や構造などテクニカルの質問をアランにする。その質疑は、素人には理解が難しいが、アランが「すべての原理はシンプルである」と答えるところが印象的だ。
先程の引用以外で、アランがダニエル・フライを通じて、地球人へのメッセージとして言ったことはだいたい次のようなことである(ざっと読んだだけなので、あまり正確ではないかもしれないが)
*科学には3種類あり、一番重要なのが、神(創造主)と人との関係を理解する「スピリチュアルな科学」、それから社会の中での人同士の関係を理解する「社会科学」、そして、「物質科学」がある。
*物質科学は、スピリチュアルな科学と社会科学を土台にして築かないかぎり、最後には衰退し、また原始的レベルに戻ってしまう。
*地球は大昔、今よりもはるかに科学文明が進んでいた時代があった。しかし、スピリチュアルな科学、社会科学の土台がなかったがゆえに、二つの勢力が相争い、大戦争(核戦争?)となり、地球全体が汚染されて、ほとんど住めない状態になった。そして、地球の物質科学も原始的レベルに戻ってしまった。
*そのとき、一部の者たちは宇宙船で地球を脱出し、他の惑星へ移住し、私(アラン)はそのとき地球から逃れた人類の末裔である。地球の中で、唯一汚染されなかった地域がチベットで、一部の地球人はそこに住みついた。
*私たちは地球がよい方向へ進化するように見守ってはいるが、しかしすべては地球人の意志にかかっている。
*今現時点では、私たちが公けに姿を現すと、一部の地球人たちは私たちを神とあがめてしまうか、あるいは敵として攻撃するかもしれないので、そういうことはしない。
*物質科学は、スピリチュアルな科学と社会科学を土台にして築かないかぎり、最後には衰退し、また原始的レベルに戻ってしまう。
*地球は大昔、今よりもはるかに科学文明が進んでいた時代があった。しかし、スピリチュアルな科学、社会科学の土台がなかったがゆえに、二つの勢力が相争い、大戦争(核戦争?)となり、地球全体が汚染されて、ほとんど住めない状態になった。そして、地球の物質科学も原始的レベルに戻ってしまった。
*そのとき、一部の者たちは宇宙船で地球を脱出し、他の惑星へ移住し、私(アラン)はそのとき地球から逃れた人類の末裔である。地球の中で、唯一汚染されなかった地域がチベットで、一部の地球人はそこに住みついた。
*私たちは地球がよい方向へ進化するように見守ってはいるが、しかしすべては地球人の意志にかかっている。
*今現時点では、私たちが公けに姿を現すと、一部の地球人たちは私たちを神とあがめてしまうか、あるいは敵として攻撃するかもしれないので、そういうことはしない。
彼の言っていることはごくまともだし、三つの科学の話はそのとおりだと思う。彼が言っている「スピリチュアルな科学」とは、古くはイエス・キリスト、仏陀から現代までの非二元の教えを指し、本当は宗教と言うより、「科学」として扱われるべきだ。しかし、「スピリチュアルな科学」は21世紀の地球でいまだ全然広まっていないし、地球の現在の権力者たちは核兵器大好き人間が多いようなので、一つ間違えば、(大昔のように?)核戦争で現在の地球文明が滅ぶ可能性もゼロではない。
最初に紹介したSF『三体』に話を戻せば、だから、地球の知性ある科学者が地球の現状に絶望して、宇宙にメッセージを送りたくなる気持ちもよく理解できる。ただ、そのメッセージを受信した文明が、地球を愛する文明というスピリチュアル的展開ではなく、地球を敵対視する北朝鮮的文明という想定がいかにもSF的だ(←スピリチュアル的展開だと、物語としては面白くはないだろうから)。
そんなこんな、しばらくの間、異星人、地球外文明の話にはまって(笑)、他にもいくつか読んでみた。USアマゾンを検索したら、「異星人とのコンタクト」というジャンルの本は今ではものすごく多く出版されていることに驚いた。(長くなってしまったので、次回に続きます)
[昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
Master Key to Self-Realization (4) ― 2024年10月21日 09時39分07秒
[お知らせ]
(Master Key to Self-Realization(自己覚醒へのマスター・キー)の出版スケジュールは現在、まだ未定です)
本書の中で、シュリ―・シッダラメシュヴァール・マハラジの教えの説き方は、登山にかなり似ている。彼は、下記の各ボディを肉体から一歩一歩ゆっくり絶対まで登る行程を詳細に説明する。
グロス・ボディ(肉体)
サトル・ボディ
コーザル・ボディ
グレート‐コーザル・ボディ
絶対
サトル・ボディ
コーザル・ボディ
グレート‐コーザル・ボディ
絶対
本書の中のグロス・ボディ(肉体)の話は、たぶん常識で理解できる。ただ、20世紀前半のインドの文化・社会を背景にした話なので、かなり男尊女卑的に感じられたり、日本人にはたぶんピンとこない話もある。
それから、サトル・ボディは、基本的には、思考・感情、そして感覚を司ると考えられるので、ここもある程度は普段の経験から理解できるだろうと思う。
本書の一番の難所だと思うところは、コーザル・ボディの説明だ。ここはかなりわかりにくいし、シッダラメシュヴァール・マハラジもここが難所であることを認めている。なぜなら、私たちの人間的思考、人間的知性は、コーザル・ボディを捉えることができないからだ。
サトル・ボディの活動が収まるとき、コーザル・ボディへの入り口に到達したと言えるが、では人が自分はサットル・ボディを超えて、コーザル・ボディに入っていると理解する目安は何だろうか?
私の理解によれば:
*瞑想などで思考・感情が静止する経験をする(=サットル・ボディが静まる)
*「自分は本当は何も知らない」という理解が湧く。
*自分の思考・感情・理解に執着しない。
以上のような状態を経験するとき、人はコーザル・ボディという難所に足を踏み入れたと理解してよいと思う。
私たちがサトル・ボディに自分の本拠地を置いているときには、「自分は本当は何も知らない」という理解は決して生まれない。自分の見方・考え方・知識が絶対に正しいと思う人たち、「自分がたくさんの物事を知っている」ことにプライドをいだく人たちは、自分の思考ですべてを理解できると思う人たちはコーザル・ボディに入ることはできない。
シッダラメシュヴァール・マハラジは、多くの求道者たちはコーザル・ボディまで到達して、そこから先は何もないと思い違いして、引き返す人たちが多いと警告する。たぶん、その警告は、「思考・感情」が静止したときの平安,いわゆる、「禅定」、「サマーディ」に安定できるいわゆる「瞑想者」たちに向けられている。
それから、コーザル・ボディについて言及すべきことは、コーザル・ボディは、ボディ(肉体)とサットル・ボディの生みの親(それゆえコーザル=原因、という名前がついている)であり、ボディ(肉体)とサットル・ボディはコーザル・ボディの道具である、ということだ。
しかし、コーザル・ボディは非二元形而上学登山の頂上ではない。さらにそのあとにグレート‐コーザル・ボディの領域、そして、絶対を残している。
ここから先の領域の説明は、本書にゆずるとして、私たちの日常生活での認識は、実は、登山の下りであることを理解することは重要だし、本書でもそのことに言及されている。
つまり、探求は下記の順番で一般的にはおこなわれる:
グロス・ボディ(肉体)
↓
サトル・ボディ
↓
コーザル・ボディ
↓
グレート‐コーザル・ボディ
↓
↓
サトル・ボディ
↓
コーザル・ボディ
↓
グレート‐コーザル・ボディ
↓
絶対
しかし、私たちの日常生活の認識は、下記の順番で降りて来る。
絶対
↓
グレート‐コーザル・ボディ
↓
コーザル・ボディ
↓
サトル・ボディ
↓
グロス・ボディ(肉体)
↓
グレート‐コーザル・ボディ
↓
コーザル・ボディ
↓
サトル・ボディ
↓
グロス・ボディ(肉体)
たとえば私たちが、自分が見ている世界に、何かを認識するとしよう。たった一つの認識、「あ、〇〇がある」というその平凡な認識さえ、絶対からグロス・ボディのすべてが関わっている。その下降はもちろん、光速よりも速く、というより、無時間で降りて来る。
このことは考えてみるに、本当に「奇跡的」なことだ。非二元系の教えで、第一の「奇跡」とはこのことであり、ニサルガダッタ・マハラジやダグラス・ハーディングはこの「奇跡」をよく話題にした。
[昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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政治家の個人的物語(2) ― 2024年10月04日 09時42分39秒
[お知らせ]
「苦節38年総裁選5回立候補」物語が、「43歳で首相になりたい」物語と「日本で初めての女性総理」&「保守派のプリンセス」物語に打ち勝って、先日の自民党の総裁選では、石破さんが自民党の総裁に選ばれた。
たまたま当日、私はyoutube で決戦投票前の石破さんと高市さんのスピーチを聞いていた。スピーチは石破さんのほうが断然よかったと感じられた。その「よかった」の意味は、彼が政治家として長年日本を見てきた「経験」と彼の「想い」と「言葉」が一致し、自民党の議員の皆さんも含めて、聴いている人たちの感情に入るスピーチだった。特に最後の「ルールを守る自民党でありたい」の一言は、法律違反の裏金議員の支援を受け、さらにルール違反をして、リーフレットを党員に送付した高市さんには、最後のパンチになった感じ……。一方、高市さんのスピーチは、言葉だけが「頑張っている」という印象だった。
「経験」「想い」「言葉」の三位一致は、聴く人の心にアピールするよいスピーチにはなるが、しかし、その自分の言葉を実行できる能力があるかどうかはまた別の問題だ。石破さんはもうすでに最初から、自分が言ったことを実行できないという能力不足を露呈している。このままでいくと、「ただ首相になって満足している人」に終わり可能性も……。
野党と論戦してから、解散すると言っていたのに、(臆病なことに)早々解散を決め、正式に首相に選ばれる前から、衆議院解散に言及するというルール違反をおかし、「女性の機会を守る」と公約しながら、今回の組閣で女性閣僚はたった2名だけ――自分のところですら、全然、女性に機会を与えていない!
それにしても、国会議員の皆さんは、本当に「選挙」(戦い)が好きな人たちだ。やっと9月で党首選、総裁選が終わったというのに、もう次の「戦い」のために走り出している。いつも「戦い」のために走りまわり、「敵」を出し抜く策略を練るのが、彼らに高揚感(アドレナリンの放出)と最高の喜びを与えるのかも……江戸時代、高級船宿や料亭で、「いかにして庶民から年貢や冥加金(今でいえば、税金)を巻き上げるのか。いかにして敵を落としいれるのか」の密談している奉行や老中と、精神構造がほとんど同じってのが、笑えるというか(国会議員の皆さんには、「暴れん坊将軍」を見ることをお勧めしたい。たぶん、自分に似た奉行や老中、下級武士や浪人がいるはず。残念なことは、悪を一刀に成敗する徳川吉宗(徳田新之助)が、現実の政治家に見当たらないことだ)
以上、久しぶりに政治について書いたが、次回は、スピリチュアル形而上学のエベレスト登山とも言えるMaster Key to Self-Realization の紹介に戻る予定。本書、そしてその次の本のために、ここ数ヶ月間、私は禅やインドのアドヴァイタ、キリスト教の歴代の賢者、禅師、先生の話をネットで調べることが多い(ChatGPTも非常に役立っている!)。そして、純粋にスピリチュアルな探求をする人たちの物語も、昔から現在まであまり変わっていないことに気づく。
政治、スピリチュアル、その他、人がどんな「物語」に心惹かれようと、実際のところ、私たちが生きるべき物語を自分で決めているわけではない。人間は、単にその物語を演じさせられるキャラクター(登場人物)として創造されたにすぎない。であれば、政治家の物語であれ、その他の物語であれ、楽しんで鑑賞(観照)するだけ……。
政治家の物語を演じている皆さん、健康に注意して、これからも頑張ってください!
[昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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政治家の個人的物語 ― 2024年09月23日 05時38分18秒
◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2024年9月29日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで←予約受付終了しました
◎オンライン「非二元の探究――非二元的認識から生まれる豊かさについて」
Master Key to Self-Realization についての紹介は、発売時期が決まりましたら、残りを書きます。
9月は自民党の総裁選、立憲民主党の党首選ということで、ネットで候補者の皆さんの発言が掲載されている。それを時々読んで、一人で突っ込みを入れて笑ったり、彼らの個人的物語(目標、夢、自己イメージなど)が何なのかを想像したりしている。
普通、人間には自分なりの人生の物語がある――自分はこんな人生を送りたいとか、こんな人間になりたいとか、こんなことを人生で実現したいとか。当然のことながら、政治家の皆さんも、庶民と同じく普通の人間である。だから、彼らにも人間として、そして、政治家としての物語が一人ひとりあるはずだ。
たとえば、岸田首相は、とにかく昔から首相になりたかった、つまり、「首相になる」ことが彼の人生の、そして政治家としての夢(物語)だったそうだ(と前に読んだことがある)。首相になって、何かやりたいことがあったわけではなく、とにかく「首相という地位」に憧れ、それになりたかった。そして、彼は自分の夢を実現して、首相として特にやりたいことがあるわけでもないので、(選挙で自民党が大敗北して)みじめになる前に、今回退陣を決意したのもうなずける話だ。
それから、高市早苗さん。もちろん彼女は、「日本で最初の女性総理大臣」という物語がお気に入りだろうし、しかも、「サナエあれば憂いなし」なんて大言壮語を吐くくらいだから、「自分の力で」、「日本を再び一番高いところへ押し上げる」ことができるという物語を信じている。しかし、人口の30%が老人を占める老人大国に、どうやって体力のいる「山登り」をさせようというのか? そんな疲れる高い目標よりも、これからの日本がめざすのは、低いところでいいので、国民が普通に働いて(=働きすぎないで)、普通に暮らすことができ、戦争に巻き込まれない国(←こういった目標さえ、かなり高いかもしれない)ぐらいでいいと、私は思うけど。
それから、石破茂さん。彼について不思議なのは、いつの総裁選挙でも、国民・党員・党友の人気は高いのに、自民党の議員さんの間ではまったく人気がないことだ。つまり、清潔で誠実で実行力がありそうという彼のイメージが、自民党の議員さんの間ではまったく評価されず、それがむしろ彼が首相になる道を阻んでいることが、興味深い。それよりも、多少ダークで、ずる賢く、議員同士の「毛づくろい」(←動物的コミュニケーション)が上手にできる人が、自民党の内部では評価され、リーダーとして出世する感じ。石破さんも、彼の政敵、麻生太郎さんをもっと見習えばよかったのかも。
そして、人気アイドル化している小泉進次郎さん。こちらも読んだ話によれば、彼はアメリカのジョン・F・ケネディ大統領(アメリカの第35代大統領1917~1963)に若い頃から憧れ、そのケネディ大統領が大統領になった歳、「43歳で首相になる」という物語がかなりお気に入りのようだ。公開質問でも、「(カナダの)トルドー首相は、就任した年は、43歳です。私は、今、43歳です。43歳、総理就任というトップ同士が胸襟を開き…」と、???の発言をして、「43歳」にかなりご執着の様子(笑)。
そして、大手マスコミも、今回の自民党総裁選に立候補した9人の国会議員の中で、もっとも大衆受けする物語を作れるということで、「小泉政権」を勝手に想定してはしゃいでいる。彼がもし首相になれば、彼だけでなく、彼の奥さんやお子さんたちの話も記事の種にでき、政治にほとんど興味のない人たちにも、タレントのゴシップのごとく、そういったネタを「買わせる」ことができる(=マスコミは、それでお金儲けができる)。永田町と大手マスコミは驚くほど構造や考え方が似ているのだ。
しかし、いくつかのサイトによれば、彼の政治家としての実力・能力には??がつくデータが出ている――たとえば、議員在任中にどれだけ議員立法の法案を提出しているのか(=議員としてどれだけ仕事をしたか)の数では、小泉さんは今回立候補した9人の中で最下位のゼロ本……。そして、10分間の立ち合い演説会で、カンニングペーパーを見た回数(←暗記力とアドリブ力の問題)が、9人の中でダントツ1位の221回など。
参考サイト
まあ、今回の自民党の9人の候補の方で、誰が首相になっても、この国の未来がそうそう変わるわけでもないし、まして自民党が(よい方向に)変わるはずもないが、万一、小泉さんが今回、マスコミと国民の人気と、「小泉で次の選挙を乗り切れ」という自民党の強欲に押し上げられて首相になったら、ご本人が一番これから辛いのではないかと思う。あらゆるところから、小泉首相を陥れようと狙う「刺客たち」が飛んでくる可能性が……すでに前回の東京都知事選で旋風を巻き起こした石丸伸二さんが、「刺客」宣言をしている。
参考サイト
皆さんの「物語」の結末はいかに、ということで、私もだんだん物語の結末が楽しみ(笑)になってきた。
[昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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販売サイト
方向が逆 ― 2024年09月07日 07時55分23秒
◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2024年9月19日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで ←受付終了しました
2024年9月29日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究――非二元的認識から生まれる豊かさについて」
Master Key to Self-Realization についての紹介は、発売時期が決まりましたら、残りを書きます。
先日、ネットで見た小さい記事が私の関心を引いた。それは東ティモールという小さい国の話で、その国へこのたび、フランシスコローマ教皇が訪問するという。
東ティモールは小さい国で、それほど経済的に豊かではない。それにもかかわらず、莫大な予算を組んでローマ教皇来訪の準備をし、ミサの場所を作るために国有地に住んでいた貧しい人たちの家を強制的に壊し、退去させたという。
さて、私は思ったものだ。貧しい人たちの家を強制的に壊して退去させることは、キリストの精神に合っているのだろうか?と。もちろん、ローマ教皇はこのことをご存じないだろうから、彼の責任ではないが、貧しい人間たちを泣かせて、ローマ教皇の来訪に備えるって、なんかキリストの精神とは方向が逆な感じ……でも、カトリック教徒が90%以上をしめる国民からもたいした反対はなかったようだ。
私が子供の頃の話である。家族の中で唯一、祖母だけが宗教的行為に熱心だった。戦前から生き残った高さ2メートルに届きそうな仏壇に、お花と、家族がめったに口にできない高級なお菓子をあげ、熱心に毎日その前で読経していた。家にお金がない時代だったにもかかわらず、祖母は宗教行事にはお金をつぎ込んだ。それほど熱心に宗教行事にお金をつぎ込み、熱心に日々読経しているにもかかわらず、祖母は幸せな人ではなかった。そして、彼女の不幸は家族に暗い影を投げかけた。
祖母を見て、私は子供心に思ったものだ。木の箱(仏壇)にいるとされている死んだ人間にお菓子をあげて祈るより、生きている子供においしいお菓子をくれ!(笑)。そして、宗教行事はお金がかかるわりには、人間の幸福にも心の平和にも役に立たないものだとも思った。祖母は幸福や平和をまったく反対の方向に求めていたのだ。
だから、私は子供の頃から仏壇や墓に参るメリットを感じたこともなければ、宗教行事に特別な敬意ももったこともない。が、それでも、父が亡くなってからは、1年に数回だけは宗教行事(というよりは季節の文化行事)をおこなっている。8月は墓参りに行き、お寺さんにご挨拶もしてきた
そして、家に帰ってきてから、母と一緒に母の好きな歌、『千の風になって』を歌った。
私のお墓の前で泣かないでください♪♪♪
そこに私はいません♪♪♪
眠ってなんかいません♪♪♪
そこに私はいません♪♪♪
眠ってなんかいません♪♪♪
まさに、肉体が生きているときも、肉体の死後も、「私」が、あんな小さい石の箱(お墓)の中にいるはずがない! 方向が逆!
[昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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最近、ちょっと驚いたこと―「アロノハラドゥウエ」 ― 2024年08月18日 07時54分02秒
[お知らせ]
Master Key to Self-Realization についての紹介は、発売時期が決まりましたら、残りを書きます。
時々、Youtube の語学関係の動画を見ている。日本人の英会話好きのせいで(というより、本当は日本人があまりに英会話が苦手のせいで)、非常にたくさんの人たち(たいていは独学で英会話をマスターした人たち)が、様々な学習法を提唱している。
面白いことには、「Aの学習法がいい」という意見があると、ほとんど必ず、その反論、「Aの学習法は役に立たない」という意見があることだ。現在では、学習法、そして無料の学習教材がネットにあふれているので、(特に初心者の人たちは)どれがいいのか、迷うことだろう。
私も英語を話すことはいまだそれほど得意ではない(けど、ほんのたまに話すことが必要になる)ので、参考になる学習法があるかどうか、いまだに研究中である。
そういった数多くある語学系動画で、最近、一番面白かったのが、ニューヨークでスタンドアップ・コメディのプロ(日本でいうお笑い芸人)として活躍している小池さんという人が、英語の発音や文法について話している動画だ。
アメリカ人を英語で笑わせることに(おそらく)苦労してきた彼が、どうしたら、日本人的発音から脱して、通じる発音ができるかの話はなかなかユニークだ。彼自身も日本にいたときは、英語は不得意で、勉強も苦手だったそうで、だから、努力なしに、簡単に発音できる方法を伝授している。
たとえば、I don’t know how to do it.(私はそれをどうやってやったらいいかわからない)は、「アロノハラドゥウエ」と発音すればいいと。
普通に、I don’t know how to do it.をカタカナ表記すれば、「アイドン(ト)ノウハウトゥードウイット」くらいだろうが、「アロノハラドゥウエ」とはあまりに異なる。
https://www.youtube.com/watch?v=66HQkb4NeWI
(日本人なまり英語から脱出 日本語緊張英語学習勉強Rio Koike Japanese comedian ニューヨーク日本人スタンダップコメディアン小池良介英会話ポケトーク)
(日本人なまり英語から脱出 日本語緊張英語学習勉強Rio Koike Japanese comedian ニューヨーク日本人スタンダップコメディアン小池良介英会話ポケトーク)
私も自分のスマホの外国語音声認識アプリに、このまま「アロノハラドゥウエ」と言ってみた。するとなんと、スマホの画面に、「I don’t know how to do it.」(私はそれをどうやってやったらいいかわからない)と、英語と日本語訳が正しく表示されるではないか!
私の経験では、スマホの外国語音声認識アプリに、普通に、つまり、習ったとおりに、英語を発音しても(したと思っても)、なかなかスマホは聞き取ってくれないことが多い。
それなのに、「アロノハラドゥウエ」が、一発でOKって、「わお!」って感じだ。
先日は、また別の動画で、小池さんが講演でアメリカ(特にニューヨーク)で成功する秘訣を語っている話を聴いた。それによれば、その一番の秘訣は、努力、才能ではなく、「助け合い」なんだそうである。ただし、「助けは、期待するとやって来ない」、ことも付け加えていた。
(An essential ingredient for success that everyone forgets | Ryosuke Koike | TEDxAnjo)
「アロノハラドゥウエ」――ちょっと、驚きました!
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