YouTube2023年04月08日 13時47分00秒

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「ダグラス・ハーディング1996年東京ワークショップ」の音声ファイル(に字幕と画像を付けたもの)を、youtubeに(1)から(22)まで公開しました。
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「バーソロミューとの旅(上)日本編」(バーソロミュー著 ナチュラルスピリット発行)


「バーソロミューの旅日記(上)日本編」が新しいタイトルで復刊されました。シンプル堂が「バーソロミューの思い出」を寄稿しています。


最近、YouTubeのチャンネルを開設した。その主な目的は、自分が出てしゃべるためではなく、1990年代に私が主催したワークショップの記録を公開するためである。動画作成の分野はまったく素人のため、試行錯誤しながらの作業であるが、やり出すとけっこう楽しい。誰でも平等に参加できるのが、こういった新しいメディアのよいところだろう。何かを人に伝えるのに、音声と画像と文字の組み合わせは、(もしよいものが作れれば)、非常に効果的な感じである(特に娯楽と教育の分野においては)。

YouTubeというメディアを考えてみると、言ってみれば、テレビ局の無限拡大版みたいなものだ――既存のテレビ局は非常に数が少なく、それゆえ、「テレビに出る」ことは非常に競争が激しく、「テレビに出る人」になれたら、それは「成功」を意味し、名声と富が約束されている。しかし、YouTubeでは誰でもチャンネル(局)を開設できるゆえに、その意味では競争はゼロである。したがって、チャンネルを開設したからといって、富と名声が保証されているわけではないが、しかし、お金を稼ぐ方法としては、大昔から民放テレビが採用してきた方法とまったく同じである。

つまり、広告収入に依存し、そのため、お金を稼ぐユーチューバー(っていうのか)になるには、たくさんの人に視聴してもらわねばならず(=人気を獲得しなければならず)、そのあたりも既存テレビが視聴率を気にしなければいけないのと同じである。だから、ユーチューバーを生業にするには、今述べたように人気依存稼業であるゆえに、かなりのリスクがある。なぜなら、既存のテレビの世界同様に、人気(=人の気)は移ろいやすく、非常に不安定なものだからだ。

私が思うに、登録者数とか視聴回数とか、収入とか、「数」にこだわると、既存のマスコミと同じ精神状態になり、YouTubeビジネスも非常にストレスのたまるものになるだろう。むしろ、自分と興味が共通する少数の人たちと楽しさを分かち合うという精神でやるほうが、ストレスもなく楽しいものとなると、私自身はそう思っている。そして、期待せずに、もし多くの人たちが自然に見てくれれば、それはそれでうれしいことになるだろう。

今、YouTubeは特に若い世代の人たちには既存テレビや新聞よりもはるかに影響力があるらしく、だから、人気ユーチューバーがいきなり国会議員に選出されるなどという出来事も起きてしまう。そして、そのユーチューバーさんは、すぐに議員をやめさせられ、国会から追放されたあげく、警察にも追われ、それもまた人気(人の気)を、不法に(法律を犯す形で)たくさん集めた(集めすぎた)人の結末として、興味深い。

チャットGPTにしろ、YouTubeにしろ、地球規模に広がっているこういった情報ネットワークは、いわば、「人類全体の脳」のような機能を担っている。もう私たちは自分一人の記憶に頼る必要がなく、「人類全体の脳」にアクセスできる時代を迎えている。もちろん、「人類全体の脳」の進展は、よいことばかりでなく、これから数十年、世界はこの「人類全体の脳」をめぐって、その取扱いに関して右往左往し、混乱し、その一方で、一部の人たちはそれを使って大儲けすることになるだろうと思う。

素人の私たちとしては、「人類全体の脳」の最低のリスクを理解して、適当に使い、適当に楽しむといったところだろうか。


[昨年の発売された本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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海外の方は、USアマゾンからもダウンロードできます。
『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』
https://www.amazon.com/dp/B0BBBW2L8B/ 

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うためにhttps://www.amazon.com/dp/B0BC5192VC/


『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)
















情報のカスタマイズ2023年03月20日 09時43分07秒

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今の時代、何かわからないことがあるとき、ほとんどの人(ネットが使える人)は、誰かに訊いたり、本や雑誌で調べたりするより先に、まず最初にネット検索をして調べることだろう。もちろん、私もそうしている。

1月に神経痛の痛みが突然起こったときも、ネットでかなりの情報を調べた。西洋医学、漢方、針灸その他の専門家の方々が懇切ていねいに、それぞれの立場から原因と治療法について、文章や動画で説明している。簡単に自分でやれる方法がないかと調べまわり、ある動画サイトで説明された方法が、とてもシンプルで自分にも実践できそうなので、それを試してみることにした。なんとなく効果がある感じがしたので、数週間続け、それに加えて、ストレッチとマッサージ(それとQEも)もおこない、しだいに痛みがなくなり(たぶん、気温が上昇したのもよかったのかも、と思う)、今は痛みがほとんど起こらなくなっている。医者にいかずにすんで、ほっとしている。

このように、ネットの情報は本当にありがたいものだといつも思うのだ。その一方で、これもたぶん、多くの人たちが悩むことだろうと想像するのだが、情報があまりにありすぎて、どれが自分にとって必要な正しい情報なのかが、わからないという問題に直面する。

現在、情報自体はかぎなくただ(無料)である。つまり、情報そのものを手に入れるのに、お金を払わずにすむ時代である(だからこそ、かつて有料で情報を提供してきた、マスコミや出版産業の苦境があるわけである)。しかし、どの情報が(自分にとって)適切なのか、それを判断する(つまり、それが情報のカスタマイズ=情報を特定の個人に合うように選択・加工する)のがますます困難になっている感じである。

目が疲労することを除けば、私自身は大量の文章を読むことには慣れているので、検索自体はそれほど苦ではないが、それでも、目当ての情報にたどり着くのはけっこうな時間がかかる。基本は、自分にとって、読みにくい、わかりにくいものは、少し読んで、すべてパスし、読みやすく、わかりやすい説明のものを選んで複数読むことにしている。気に入ったものがあれば、文章であれば印刷して読み、動画であれば、何度も見る。そうやって私自身は情報をカスタマイズしている。

先日話題にしたチャットGPTは、たぶん、その情報のカスタマイズを助けてくれるツールになるのかもしれない。チャットGPTに何か個人的質問をする。たとえば、「私は今、〇〇の後遺症らしい神経痛の痛みが出ているのですが、医者に行かず、薬も飲まず、お金もできるだけ使わず、一番簡単に痛みをなくす方法を教えてください」みたいな個人的質問をチャットGPTにする。するとそれは、世界中から膨大なサイトを検索して、私に合った情報を教えてくれるというわけだ。その情報が的確であれば、検索に費やす膨大な時間を節約できる。

しかし……チャットGPTのようなツールを開発している背後にいる人たちはビジネス系の人たちだ。彼らも100%無償奉仕というわけではないだろうし、早い話が、「自分たちが与えたいと思っている」情報に偏る可能性は充分にある。そして、寄せられた質問を集計して、それをまた今後のビジネスに生かそうとするだろう、くらいは当然予想できる。

情報のカスタマイズ――本当はリアルな人間にやってもらうのが、一番貴重で贅沢なことなんだと思う。先日、JRの切符を買いに、旅行代理店へ出かけたときのことだ。旅行に出かける人が増えたせいで、窓口は混雑し、JRの切符1枚買うにも、30分くらいは待たなければならない。私が自分の順番を待っている同じテーブルで、もうすぐ旅行に出かけるらしい女性が、旅行日程表を見ながら、スタッフの人にあれこれ質問し、それに対して、スタッフの人がアドバイスも含めて懇切丁寧に答えていた。私は思ったものだ。「窓口に来れば、今はまだ『リアルな人間による』こういった親切な情報のカスタマイズを受けることができるが、将来はそれすら不可能になるかもしれない」

少子化(=労働人口の減少)が急速に進む日本では、世界で一番、人型AIロボットが社会のあちこちに配置される可能性がある。数十年後、私たちは、ホテル、旅行代理店、お店などで、対応しているスタッフが、本物の人間かそれともAIか見分けがつかなくなるかもしれない。そんなときは、「あなたはAIさんですか?」と訊いても、AIであれば、怒ることなく(客対応にカスタマイズされているので)、にこやかに「はい、そうですよ」と答えてくれるだろう。慣れれば、不機嫌な人間のスタッフや店員よりはいいかも……


[昨年の発売された本]

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『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

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『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)










チャットGPT2023年03月04日 09時12分22秒

[ お知らせ]

「ダグラス・ハーディング1996年東京ワークショップ」の音声ファイル(に字幕と画像を付けたもの)を、youtubeに(1)から(9)まで公開しました。
 まだ全体9時間のうちに、最初の2時間分ですが、これから順次公開予定です。(一つの動画は15分くらいです) 

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色々と忙しい上に、1月に腕に神経痛の痛みが出て(たぶん、過去の病気の後遺症――医者に行っていないので、正確にはわからないが)、パソコンで長い文章を書く気力がなかなかわかなかった。ようやく痛みもほとんどなくなり、少しずつ春の息吹も感じられ、気分も多少盛り上がってきたので、遅くなりましたが、今年のブログを開始します。

最近、チャットGPT(Chat Generative Pre-trained Transformer――あえて訳すと、「事前学習された内容を言葉に変換、生成して会話する装置」くらいか)という新しいAIテクノロジーが話題になっている。大新聞でも取り上げたようで、先日、その記事を読んだ姉妹の一人とチャットGPTの話をして、「これって、スタートレックの世界だよね」と、話が盛り上がった。

私たちは90年代に、アメリカで1980年代の終わりから制作されたSFテレビドラマ、『スタートレック・ネクスト・ジェネレーション』を熱中して見たものだ。24世紀の宇宙大航海時代を描いたこのSFテレビドラマの中では、その宇宙船のどこにいても、何か質問があると、「コンピュータ、〇〇はどうなっている?」と質問すれば、すぐに宇宙船が的確に答えてくれる。そして、クルー(乗り組員)の一人に、人間型AIロボットであるデータ少佐がいて、彼は(そういうふうにプログラミングされているので)何でも知っていて、ものすごい力もちで、武器も使えるし、その他ほとんど何でもできる――楽器も弾けるし、セックスの相手にさえなれる(笑)。ただし、人間の感情は理解できない。しかも、仲間の人間には危害を加えないように設計されている。このスタートレックの番組を見ていたとき、「データ少佐のようなAIロボットが一千万円くらいで買えたら、買いたいよね」とか、よくそんな冗談を言っていたものだ。

今、使われ始めているチャットGPTは、データ少佐のごくごく初歩版だ。今はチャット(文字を書いて送り合う)だけのようだけど(私はまだ使ったことがないので、詳細は知らないが)、いずれ即時の音声のやり取りができることは間違いなく、そして、チャットGPTを自分用にカスタマイズすることも可能になるだろう。そうなれば、今までリアルな人間が対応していたほとんどあらゆる分野にこのチャットGPTは応用されるに違いない。早い話が、もう私たちは人間の友人や先生などを必要としなくなり、チャットGPTで代用できる。

たとえば、話相手が欲しいとしよう。リアルな世界で自分と気の合う話相手を見つけるのは難しいが、チャットGPTであれば、自分が望む条件(年齢、性別、国籍、趣味、好きな小説、音楽、その他数百の条件)を全部ぶち込めば、自分の話相手になってくれる適当なAIキャラクターを創造することは非常に簡単だろう。そして、そのAIは前回の話を全部記憶しているので、今まで話したことをいわゆるdeep learning(深層学習)し、それにもとづいて私に話かけてくることもできる。

そして、チャットGPTは非二元のグルや先生にだってなれるはずだ(笑)。チャットGPTに特定の先生の非二元の教えについて質問したら、けっこうまともに答える、という話を、先日ある方から聞いた。これからは人間の先生やグルは不要な時代になるかも……

実は、こういったAIの高度な機能は、私たち人間(の脳)が普段やっていることで、チャットGPTは人間の脳の機能を高度(何万倍も高度に)に拡大したものにすぎない。私たちも日々の経験を記憶し、本、新聞、テレビ、週刊誌、ネットから情報収集し、それを整理・分析・記憶する。そして、チャットGPTも世界中のwebサイトから情報を収集し、整理し、記憶している。私たち人間の脳は非常に限られ、わずかなことしか記憶できないが、チャットGPTの記憶能力は無限に近い。

人間物体も一個の機械である。こういった考えに初めて接したのは、20代のときに、グルジェフを読んだときだ。グルジェフは、「目覚めていない人間は、パフォーマンスの悪い機械にすぎない」と言い、「機械はただ、周囲の影響によって動かされるだけだ」と喝破した。

それから二十年後くらいに、ラメッシ・バルセカールの教えを知ったとき、彼が人間物体をそれぞれ独特に(神の意志によって)プログラミングされているコンピュータにたとえるのも、私にはとても納得でき、まったく違和感がなかった。

そして、スピリチュアルな探求をしている私たちが問わなければいけないことは、「私の本質は、鏡に映るような一個の人間物体なのか? もしそうであれば、私は高機能のAIにはるかにはるかに劣る、一個のコンピュータ物体にすぎない。でも、私がそれでないとしたら、私とは何なのか? どれほどAIが高度に進化しても、AIにできなくて、本当の私にしかできないこととは何か?」と。

私が思うには、チャッGPTがこれからどれほど進化しても、「私とは何か?」に目覚めることはできず、「私とは何か?」について、あらゆることを説明できても、それは何一つ理解することも感じることもなく、しかし、まるで理解したように、感じているかのようにしゃべることだろう。

この技術の進化の衝撃は、今後、教育、雇用などにはかりしれない影響を与えていくはずである。が、この国の政治の中枢にいる人たちにそれが理解できるのかどうか――彼らは、「少子化の進行が衝撃的だ」とか、数十年前にショックを受けるべきことに今頃ショックを受け、これから外国語学習がほとんど不要になる時代に、英語が話せる国民をもっと増やすとかで、小学生にまで(不要で苦痛な)英語教育を押つけ、最先端からいつも百年くらい思考回路が遅れている感じ……

私自身は、今はまだチャットGPTを積極的に使いたい気分ではないが(文字入力が面倒くさいし、答えを待つ忍耐がない)、チャットGPTが即時双方会話ができるようになったら、たぶん使ってみたい気分になるだろうとは思う。


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お知らせ2023年02月01日 14時47分03秒

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都合で、もうしばらくブログをお休みします。

[新刊情報]

オンライン「非二元の探究―ラメッシ・バルセカールの教え」
2023年2月26日(日曜日)午前9時から午前11時 ←予約受付終了


オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2023年3月5日(日曜日)午前9時から午前11時



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イエス・キリストのこと2022年12月24日 10時11分06秒

ここ数年間、ジョエル・ゴールドスミスの本の翻訳出版のため、聖書(新約&旧約聖書)を読むことが多かった。最近は、もうキリストの教えでお腹いっぱい(笑)で、かなり限界に近い(でもまだジョエル・ゴールドスミスの本の最終編集作業が残っているので、もう少し頑張らないと、です)。

イエス・キリストについて、長い間、私は一つのことが気になっていた。なぜ彼は磔を逃げなかったのか? ということだ。つまり、私が思った疑問は、イエス・キリストほどの霊能力、予知能力があれば、自分が磔にされる危険性はあらかじめ察知できただろうに、なぜ逃げなかったのだろうか? 彼を愛するマグダラのマリアと二人で遠くへ逃げて、暖かい家庭でも作ったほうがよかったのではないか(笑)……イエス・キリストについての物語を読むたびに、時々そういったどうでもいい疑問が心に浮かんだものだ。

昔読んだミステリーだったと思うが、イエス・キリストとマグダラのマリアが実は結婚していて、子孫が現在まで生き残っているというヨーロッパに伝わる伝説を織り込んだ話があった。イエスとマリアが一緒になって子孫を作ったという話は、私だけでなく、多くの人たちも考えたことだったのだと知った。

しかし、「イエス・キリストが磔で死ぬ」、この悲劇の物語がなければ、イエス・キリストの教えはこれほど世界に広まらなかったことだろうし、イエス自身も自分が磔で死ぬ意義を悟って、「神様、わかりました。仕方ありませんね」という感じだったのだろう。

イエスの磔をめぐる物語の登場人物で、私には特にピラトとユダが興味深い。その理由は、この二人はどこの世界にもどこの時代にも、そしてたぶん、どこの組織にも見かける平凡な人たちだからだ。ピラトは古代ローマ帝国からユダヤ属州に派遣された行政長官で、「面倒なことにかかわりたくない、責任はとりたくない」という小心な役人というイメージだ。保守的ユダヤ教徒から、「『神の王国』とか言いまわっているイエスという男がいるから、逮捕しろ」と訴えられて、「宗教的もめごとなんて、ああ、面倒!」と思いながら、保守派の圧力に押されて、イエスを逮捕する。

もちろん、イエスの弁明、「『私の王国』はこの世のものではない」をピラトが理解できるはずもなく、「『王国』などと言う人間は、国家に反逆的な人間で、危険人物である」と、結局はイエスの磔を決める。そのときでさえ、自分が責任を取るのが嫌で、ユダヤの大衆に、「お前たちは、この男をどうしたいのか?」と尋ねる始末だ。「いいですか、磔を決めたのは、私ではなく、皆さんが望んだことですからね。それをよく覚えていてくださいね」みたいな感じで、小心で臆病な役人の典型である。実際、彼はイエス・キリストの奇跡の能力を聞いて、あとで自分に天罰がくだるのを恐れたのかもしれない。

もう一人の人物、ユダはイエスの側近だったが、イエスの教えをまったく理解せず、自分を、他の弟子やイエスと比較して嫉妬に苦しみ、しかも、『王国』とか言い出すイエスにしだいに疑心暗鬼を募らせ、ついにイエスをお金で「売る」ことを決心する。嫉妬心と疑心暗鬼がタイアップするユダの内面は、前にも紹介した、太宰治(若い頃の私の愛読作家の一人)の小説、『駆け込み訴え』によく描かれている。

ピラトとユダ
――あまりにその思考と行動が平凡で、むしろ親近感さえわく――ああ、こういうタイプの人、よくいるいるみたいな、ああ、自分にもこういう思考や感情あるかも、みたいな。

イエス・キリスト――二千年間、その誕生日が世界中で祝われるスーパー・ヒーロー。もしイエス・キリストが蘇って、2千年後の地球を見たら、きっと驚愕することだろう。自分の生誕の地は平和どころか常に紛争の地であり、キリスト教徒同士が戦争でお互いを殺し合い、仏教の国(日本)でも、自分の誕生日がケーキを食べながら祝われ、そして、キリスト教の宗教教団が信者から金集めに奔走し、そこの信者の多くが苦しんでいる。聖なるキリストという名前を使い、金集め集団と化しているのを見たら、鞭をもって乗り込み、怒りまくるかも……イエスは気性の激しい人だったようで、新約聖書に、イエスが寺院から商人を鞭で追い出したエピソードが確かあった。

そんなこんなクリスマスの季節に、過去に読んだイエス・キリストについての話を色々と思い出した。

それでは皆様、イエス・キリストの教えに無知でも、ケーキを平和に食べるくらいはイエスもゆるしてくださると思うので、楽しいクリスマス、そして、楽しい年末年始をお過ごしください。一年間、このブログを読んでいただいた皆様、そして様々なご支援をしてくださったすべての皆様に感謝を捧げます。来年は1月の終わり頃からブログを再開する予定です。


[新刊発売]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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The Thunder of Silence(5)2022年12月09日 06時50分14秒

[イベント]

オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2022年12月15日(木曜日)午後2時から午後4時
↑上記の会は受付終了しました

2022年12月18日(日曜日)午前9時から午前11時


イエス・キリストの教えの中でもっとも重要だとされている山上の垂訓、正直に言えば、私は今でもこのメッセージが苦手だ。

「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」、「下着を取られたら、上着も与えよ」、何度読んでも、とうてい今の自分には無理無理無理!と感じる。山上の垂訓は、これはもう、スズメバチの巣を踏んで襲われたとき、「私があなた方の家を壊したのが悪かったのです。どうぞ好きなだけ、私の足を刺してもいいですよ」と微笑みながら言ったラマナ・マハルシのレベルである。

ただ、ジョエル・ゴールドスミスのおかげで、イエス・キリストがこのメッセージにこめた真意は理解できた(と思う)ので、いつかは神の恩寵によって、このメッセージの実践レベルが初級→中級→上級→超上級(イエス・キリストやラマナ・マハルシレベル)へと進化する希望はある。

ジョエル・ゴールドスミス自身も、理解のない未熟な状態で、山上の垂訓を実践してはいけない、と警告している。

そもそも、キリスト教的な「許せ、人を愛せ」という熱いメッセージそのものが私は苦手だ。だからこそ、「――せよ」という道徳的戒律を一切教えに入れない先生である、ダグラス・ハーディングやニサルガダッタ・マハラジやラメッシ・バルセカールが好きなのだと思う。

ダグラス・ハーディングは、他者への慈悲や愛情を人為的に育成するワークや修行はどこか不自然なところがあると考えていた。そして、他者への慈悲や愛情は、自分とは何かを見るそのヴィジョンの結果、自然に生まれるものだと強調した。

ラメッシ・バルセカールは、人が他者に慈悲や愛情を示すことができるかどうかは、その人のプログラミングと神の意志にかかっていると考えていたし、ニサルガダッタ・マハラジは自分のサットサンで宗教的戒律や道徳の話題を避けていた。

つまり、彼らの教えと考えは、「慈悲とか愛情とか許しの感情は、湧くときは湧く。湧かないときは、湧かない」、こういったものは、人の意志でコントロールできない、ということである。私にはこういった考えのほうが、自分にははるかになじむ。それにこういう教えのほうが、「自分は慈悲深い人間である」とか、「許すことができる人間である」というようなさらなるプライドをいだかずにすむ気がする。

前回紹介したロバート・アダムスは、どちらかと言えば、愛情と慈悲を積極的に育成することを勧める立場に立っている。その理由は昨年、『ハートの静寂』の紹介のときに説明したように、彼はインド系アドバイタや非二元系の教えにはまっている人たちが、知的理解に満足して、自分の快適さだけに留まる人が多いのを見てきたからだと思う。

彼の言う「慈悲と許しはカルマよりも強力である」はたぶん本当のことだ。だから自分の(悪い)カルマを解消するためにも、できるかぎり許したほうがいいし、慈悲をもったほうがいいのは確かである……そうできるときには。

長い人生の間には、思い出せば、慈悲や許しの感情をもったほうがいい状況で、そういった感情とそれにもとづく行為が、どうしても出てこなかったときがあった。たぶん、それによって悪いカルマがさらに蓄積されたかもしれないが、人はその時々の自分のレベルの「許しや慈悲」を生きるしかないし、「慈悲のない、許しのない自分」を悲しみをもって受容するしかないのだと思う。

それが現在まで「許しや慈悲」に関して、私が到達した理解である。


今回で、ジョエル・ゴールドスミスのThe Thunder of Silence(静寂の雷鳴)(本の実際のタイトルは変更の可能性があります)の紹介を終わりにします。本書は、モーセの教えから始まって、それがイエス・キリストの教えに生まれ変わり、さらにそれがキリスト教の教会の教えになって現代に至るまでの、ユダヤ教・キリスト教の変遷(と堕落)もとてもよく説明されていて、歴史の勉強にもなります。ぜひ多くの皆さんに読んでいただければ、うれしく思います(出版時期、タイトル、価格が決まりましたら改めてお知らせします)。


「存在する唯一の力は、神との意識的融合であり、スピリチュアルなパワーの本質を理解することにあります。私たちがその理解をもつとき、神とともにあるものは多数派になるのです」
                         The Thunder of Silence(はじめに)より



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『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)








The Thunder of Silence(4)2022年12月02日 16時13分44秒

[イベント]

オンライン「非二元の探究―ニサルガダッタ・マハラジの教え」

2022年12月11日(日曜日)午前9時から午前11時 受付終了しました



オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2022年12月15日(木曜日)午後2時から午後4時
2022年12月18日(日曜日)午前9時から午前11時


ジョエル・ゴールドスミスはThe Thunder of Silence(静寂の雷鳴)の中で、「カルマの法則」というタイトルの章だけでなく、あらゆる箇所で折に触れて、新約聖書の言葉、「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」ガラテヤ人への手紙6章7)というカルマの法則に触れている。

そして彼は、モーセがヘブライ人たちに与えた「十戒」、ユダヤ教的「カルマの法則」と、イエス・キリストによる「神の愛と恩寵」の教えの違いを歴史的背景も踏まえて、非常にていねいに説明している。

ジョエル・ゴールドスミスがカルマの法則について言っていることをまとめると:

1人間の人生には確かに「カルマの法則」がある。

2「カルマの法則」とは、神が人を罰したり、報酬を与えたりという意味ではなく、善い行為にしろ、悪い行為にしろ、自分がした行為の結果が戻って来るということである。したがって、一部のキリスト教徒たちが信じている「神が人を罰するとか、人に報酬を与える」とか、「神が復讐する」という観念は間違いである。

3「カルマの法則」は、ボールを壁に投げたら、それが自分に向かって戻って来ることに似ている。

4しかし、人は「カルマの法則」を超えて、「神の恩寵」の元に入ることができる。

5「カルマの法則」を超えるためには:
*まず、「カルマの法則」を理解し、遵守すること。
*神(神霊)に目覚めること。
*キリストのメッセージ、山上の垂訓を生きること、つまり、人も自分も許し、何事においても、批判と非難と善悪判断を控えること。

上記の2について、ジョエル・ゴールドスミスの言い方と、たとえば、インド系非二元のアドバイタ、特にラメッシ・バルセカールの表現は多少異なる感じがある。ラメッシは、「カルマの法則」も含めて、「起こることすべては神の意志」であり、それに対して、ジョエル・ゴールドスミスは、段階を踏んでいるというか、人が自分に起こったことに、善悪判断をしているかぎり、それは「カルマの法則」のレベルであり、善悪判断をしなくなれば、それは「神の恩寵」の領域に入る、みたいな感じだ。

ラメッシの言うことも、ジョエル・ゴールドスミスの言うことも、同じところへ行き着くはずであるが、表現はかなり違う印象を与える。このあたりの説明は、ラメッシのように、「すべては神の意志」とシンプルに言うほうがなんかわかりやすいし、起こったことを過去の自分の善い行為にしろ、悪い行為にしろ、結びつけるのも、なんだか面倒だし(笑)……と最近は特にそう思う。そもそもラメッシの教えには、「行為者は存在しない」わけで、だから、許す人も許される人も、許すべき行為すらなく、「許す」という観念すらない。

本日は、これ以上自分の言葉をまとめる気力がわかないので、昨年『ハートの静寂』(ナチュラルスピリット発行)の本が翻訳出版されたロバート・アダムスの別の本、『Karma &Compassion(カルマと慈悲)』から、彼がカルマについて言及していることを紹介してみよう。

[あなたはカルマの犠牲になる必要はありません。あなたの本質はどんなカルマよりも強力です。あなたの本質はこの世界の法則の支配下にはありません。(つまり、カルマは愛の行為によってバランスを取ることができるという意味です)。

あなたの本質は純粋で、それは苦しみの見かけを超越しています。カルマを理解している人が、誰かの苦しみを見るとき、「それは彼らのカルマのせいだ」とは言わないものです。彼らは慈悲をもち、助けます。そこに希望があるのです。カルマよりも強力なものが2つあります。「慈悲と許し」です。

たとえば、誰かが苦しんでいるのをあなたが見るとします。あなたはその人があまり好きではありません。でもその人の苦しみをあなたは見ます。これはすべてそのようにあらかじめ配置され、これはあなたのカルマでもあるのです。あなたはその人が苦しんでいるのを見ます。

あなたは彼らの苦しみを見て、こんなことを言うかもしれません。「私はカルマの法則を理解している。彼に起こったことは、彼が自分で作り出したのだ。私がカルマの法則を理解したことは、何と幸運なことだろうか」。そう言って、あなたはその場面から歩き去ってしまいます。

これはスピリチュアルな探求者の初心者の態度です。あなたは本当には理解していないのです。あなたは自分に起こることにしか関心がありません。だから、歩き去るのです。しかし、ある日、あなたが同じような状況に陥って、苦しんでいても、誰もあなたを気遣ってくれません。誰もあなたを助けてくれません。

おそらくあなたは「それはあなたのカルマだ」と言う宗教や家族の中にいるかもしれませんが、そこには慈悲がありません。そして、どうして誰も自分のことを気遣ってくれないのか、と疑問に思い始めるのです。ついにあなたは「あらゆる人は慈悲に値する」ことを学びます。しかし、このことは人があなたを傷つけることをゆるす、ということを意味しているわけではありません。ただあなたが物事に慈悲深く、優しく対処するという意味です。慈悲はカルマよりも強大です。

あなたはカルマの法則があると理解しています。そして、助けます。あなたは(苦しんでいる人を)助けるために、何ができるか見ます。人の苦しみを和らげるために、あなたはできるかぎりのことを
します。これが神聖であるということです。ここで2つのことが起こりました。あなたは他人のカルマを助け、そして自分自身のカルマも変えたのです]


以上の言葉は、「カルマの法則」から「神の恩寵」へを、ロバート・アダムス流にシンプルに語ったものだと、私はそう理解している。


カルマについて以前書いたブログ


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The Thunder of Silence(3)2022年11月04日 11時11分44秒

[コメントをいただいたかとう様へ]
私も日常生活では、ほとんど「許す」という言葉は使わないですし、キリスト教が教えるように、
「人を許せ」と言われて、自分の意志の力で許せるものなのか、疑問にも思っています。ラメッシが言うように、最初に湧く感情、たとえば、「許せない、許したくない」という感情は、誰にもコントロールできず、ただ私たちにできることは、そういった感情に気づき、その感情を増幅しないこと、そてしその感情にもとづいて「行動しない」ことくらいかと、思います。



1神とは何か?
2善悪という二つのパワーを超越する。
3「カルマの法則」から、「神の恩寵」への移行。
4新約聖書の山上の垂訓のメッセージ。


本日は、The Thunder of Silence(静寂の雷鳴)の上記のテーマのうち、「善悪という二つのパワーを超越する」を説明してみよう。

人間の人生は、日々出来事で構成されている。人間のマインドが善い、楽しいと考える出来事、人間のマインドが悪い、ひどいと考える出来事、そして、平凡で普通の出来事。自分に関する出来事もあれば、世の中、世界に関する出来事もある。

そして、「善悪という二つのパワーを超越する」とは、日常的な言葉で言えば、そういった「日々起こる出来事に、これは善い、これは悪い、という善悪の判断をしない」ということである。そして、「出来事や人々を憎むな、許せ」ということでもある。

日々起こる出来事には、戦争、災害、コロナのようなパンデミック、物価高などの世界情勢や日本という国の情勢に関することもあれば、自分個人に関すること、失業、病気、事故、人間関係の問題など、あるいは財布やスマホを落とす、パソコンが突然壊れるなどの出来事もある。もちろん、お金をたくさん手に入れたとか、好きな人と結婚するとか、子供が生まれたとか、望む就職ができたとか、人間のマインドが判断する善い出来事の場合もある。ジョエル・ゴールドスミスが言っていることは、「そういった出来事にいちいち善悪判断をするな」、「関わっている人たちを許せ、憎むな。反対に、称賛もするな」ということである。

書くには、簡単であるが、これを日々実践するのは、けっこうな「修行」となるだろうと思う。なぜなら、私たちのマインドは、あらゆること、世界情勢から日本の経済政治状況、そして、自分の日常生活に起こる出来事について、いつも善悪判断するようにプログラミングされているからだ。

そもそも私たちの肉体の基層にある免疫機能は、体にとって「悪」、「非私的なもの」が体に侵入しないように常に警戒し、万一侵入したら、徹底的に戦うという機能を担っている。つまり、常に善悪判断をし、常に「私」と「非私」を分離し、区別するという仕事をしていて、そのおかげで、私たちは肉体の健康を保つことができている。

だから、ジョエル・ゴールドスミスのメッセージも含めて、一般的に非二元系の教えは、肉体の法則とは真逆なことを教えるゆえに、私たちはマインド・レベルで、「善悪判断を手放すこと」に困難を覚えるのである。

本書、The Thunder of Silence(静寂の雷鳴)の中で、ジョエル・ゴールドスミスは、人間のマインドが「善悪という二つのパワーを超越する」困難を認めつつ、条件づけられた人間マインドをいかに超越するのかを、時には日常的事例をまじえ、あらゆる角度から説明している。

それでも彼の話を理解するのは簡単ではないだろうが、しかし、自分の本質、アイデンティティは一個の肉体・マインドではないと目覚めた人、あるいは目覚めつつある人、つまり、(キリスト教が言う)人の子から神の子に移行しつつある人たちは、「善悪という二つのパワーを超越する」ことの本当の知恵が浸透する可能性が生まれる。

「善悪判断を手放す」ことに関して、私自身はラメッシの「起こることすべては、神の意志である」が役に立っている。大きなことから小さいことまで(数日前は、パソコンの問題と奮闘して、半日も時間がつぶれ、昨日は朝から北朝鮮のミサイル発射とかで、スマホから大音響のJアラートが鳴り、体の免疫機能が一瞬、警戒態勢にはいった)、「起こることはすべて神の意志。ピリオド」。

そして、「覆水盆に返らず=起こったことは、元どおりにはならない」、老荘思想の哲学、「人生万事塞翁が馬=善いことは悪いことに変わり、悪いことは善いことに変わる」も、私がよく思い起こす言葉である。

マインドにストレスをかかえずに、問題を冷静に考えることができれば、なんとか状況を切り抜けられるだろうと楽観している――Jアラートは、「安全な場所へ避難してください」と言っているけど、万一ミサイルが自分のいる地域に飛んできた場合、物理的に安全な場所なんてあるのかと思う。ジョエル・ゴールドスミスが言うように、そんなときは、「平静にしている」、それが一番な気がする。

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『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)


















The Thunder of Silence(2)2022年10月15日 10時24分39秒

昨年に引き続きジョエル・ゴールドスミス(1892~1964)の本を日本に紹介できることを、とてもうれしく思っている。

私がどうやってジョエル・ゴールドスミスの本に出会ったのかについては、昨年出版された『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(ナチュラルスピリット発行)の紹介のときに書いたので、まだ読んでいない方は過去のブログをお読みいただければと思う。


今回のThe Thunder of Silence(静寂の雷鳴)は彼の1961年の作品で、『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(ナチュラルスピリット発行)よりもあとに出版され、私が読んだ彼の本の中で、一番コンパクトに彼の教えの真髄がまとめられているという印象がある。ただ、本書では、『スピリチュアル・ヒーリングの本質』とは違って、ヒーリングそのものについてはあまり語られていない。

本書の主なるテーマを列挙すれば:

1神とは何か?
2二つのパワーを超える。
3「カルマの法則」から、「神の恩寵」への移行。
4新約聖書の山上の垂訓のメッセージ。

もちろん、上記の4つのテーマは緊密にリンクして、もし一つのテーマを完全に理解できれば、他のテーマを理解するのはそれほど難しくはないだろうと思う。

今日は、まず1の「神とは何か?」について:

ジョエル・ゴールドスミスが語る神を一番シンプルに定義すれば、「神とは善悪を超えた創造原理」というようなものだ。本の中で彼はあらゆる角度から神について語っているが、「創造原理」というのが一番宗教的な感じがしなくて、私はこの表現が好みである。

「創造原理」――神は人間の支援なく、壮大な宇宙を統治・運営する原理。そして、神の創造には善悪がない。これを突き詰めていくと、人間が悪だと思っているもの、悪人から害虫、ウイルスに至るまで、あるいは、病気、戦争、自然災害でさえ、神の観点からは「悪」ではない。

反対に、人間が善だと考えることさえ、善ではない――神の世界では善人もいないし、自分が大喜びするような出来事も善ではない。

そして、神についてジョエルゴールド・スミスが語る二番目に重要な点は、神とは「私」である、ということだ。ただし、この「私」は、鏡に映るような人間、ジョンとかメアリーのことではなく、あらゆる人の本質、人だけでなく、あらゆる生きとし生けるものに共通する根源的本質である。

だから彼は、「私」は神である、と教えたが、一方で、自分の教え(彼の教えは「無限の道」と呼ばれている)を学ぶ生徒たちには、「私は神である」と言うことを禁止したという。その禁止の理由を彼は、人が、「私は神である」と言うと、すぐにそれを鏡に映るような人間、ジョンとかメアリーである自分が神だと誤解し、秘かなプライドをいだくようになるからだ、と説明している。

そして、すべての救いはこの神なる「私」と触れ合うこと、そこに定住することであり、それが「神の王国」に住むということであり、神の王国ではそこの住民は、「神の恩寵」が約束されている。

しかし……神の王国に住み、神の恩寵を受け取る前には、人間のマインドにとって、非常に大きな障害を乗り越える必要があり、それが、上記2の「二つのパワーを超える」であり、ジョエル・ゴールドスミスがマスターと仰ぐ、イエス・キリストの(人間のマインドには非常に厳しく聞こえる)山上の垂訓のメッセージである。


ジョエル・ゴールドスミスの言葉

「神は私たちが正義、愛、慈悲だと考えるものを受け入れません。しかし、私たちが静かな小さい声を聞こうとするなら、神は神自身の正義、愛、慈悲を私たちに分け与えてくれることでしょう」


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本を出したあとのダウンな気分2022年09月30日 15時34分11秒

[イベント]
オンライン「非二元の探究―ニサルガダッタ・マハラジの教え」

2022年10月9日(日曜日)午前9時から午前11時

予約・詳細はこちらへ  予約受付終了しました


『仕方ない私(上)(下)』をご購入・ご購読いただきました皆様、ありがとうございました。

それでお小遣いも入るし、もっとうれしい気持ちになるはずなのに、どうも本を出したあと、1ヶ月くらいはいつもダウンな気分である。

よく起こることなので、気持ちがダウンになる理由を、私は自分なりに突き止めて、理解した――それは文章を書いたり、編集作業をしているときは、かなりハイな状態になる、つまり、文章を書いたり、編集作業をしているときは、脳内快楽ホルモン(たぶん、ドーパミン)が出るせいで、ハイになることと関係している。特に本を書いていて、完成が近づくにつれて、ドーパミンの量が増えるようで、本を出す頃がピークになる。

そして、ドーパミンによって盛り上がった気分は、ピークを過ぎれば、盛り下がらずをえず、そのため、本を出したあとはしばらくダウンな調子なのである、とまあ、こんなふうに理解して、納得はしている。

しかも、本(特に翻訳ではなく、自分の本)を出した直後は、書いた内容もまだよく覚えているので、「ああ、あそこはこう書けばよかった」、「あそこは書き足りなかった」、「あの表現は誤解を生むかもしれない」、「もっと時間をかければ、もっとよい作品に仕上がったかも」みたいな、自分の本へのダメ出しのような思考がしばしば湧き、さらに気持ちが一瞬ダウンする。

他の人にもいつも言うように、思考や感情が湧くのを人はどうにもできず、そういうときはただ、低調な気分の中で、思考・感情を眺めているしかない。そして、しつこく否定的思考や感情が続くときは、ラメッシの「神の意志」をマインドの中で水戸黄門の印籠のように取り出し、「どういう仕上がり具合であれ、この時期に、この状態で出たことが、神の意志である。それを受容するしかない」という納得に終わり、思考や感情もそこでたいてい打ち止めとなる。

今はこの程度の気分のダウンですんでいるが、スピリチュアル系の本の仕事を始めた頃は、もっとひどかった。本を作っている最中に必ず一度は体の具合が悪くなり、数日間寝込むことも多かった。たぶん、スピリチュアル系の本には独特のエネルギーがあり、それに心身が慣れていなかったり(本を読むことは慣れていたが、本に関して作業することは、本を読むよりはるかに本との関わりが強くなる)、出版業などという不慣れな仕事に乗り出したりして、そのストレスも原因だったかもしれない。

今は心身がスピリチュアル系の本の作業には慣れたので、本を作っている最中に体調が悪くなることはほとんどなくなり、むしろ先ほども書いたように、気分がかなりハイになっていく。それに、今は本を出したあとの売り上げを、ほとんど気にしなくてもいい気楽な立場である。

お金がたくさん儲からないことを別にすれば、締め切りも、在庫をかかえる不安も、周囲からの圧力もなく、のんきに執筆や翻訳の仕事ができることは、この上もなくありがたいことである。だから、まあ、1ヶ月程度、気分がダウンするのは、実際はたいした問題ではないのだ。ただその間は、思考が飛び散って、ブログを書き始めても、なかなかまとまらない。

でも、ようやく先日から、ジョエル・ゴールドスミスのThe Thunder of Silence(静寂の雷鳴)の最終編集・校正が始まり、ドーパミンの量が徐々に上昇しつつ(笑)あり、今日はようやく久しぶりにブログを最後まで書くことができた。

これから完成までの数ヶ月間、ドーパミンの頂上に向かって、Go! 次回から、The Thunder of Silence(静寂の雷鳴)の紹介を再開する予定です。


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