風邪対策2007年12月01日 14時42分30秒

風邪、インフルエンザの季節である。

以前ご紹介した野口晴哉さんの「風邪の効用」によれば、風邪には、体の緊張を緩和する効果があり、風邪を上手にひくことは、体にとっては必要で、よいことなのである。

つまり、風邪をひくということは、体の自浄作用でもあるのだ。逆に言うと、何かの肉体的、精神的ストレスがたまって、体が緊張しているときは、風邪をひきやすい。

このことをよく実感したのは、昔、外で働いていた頃で、仕事が終わって休みになる頃によく風邪をひいて寝込んだことがあった。ほとんど休むことも遅刻することも許されない仕事をしていたので、仕事の最中だけはどれだけ疲れていても、風邪を絶対ひいてはいけないと自分にいつも言い聞かせていた。そして、目いっぱい体が緊張している状態で仕事が終わって、休みに入ると、ほっとして、風邪をひく。野口さんの言うように、風邪をひき終わると、体のストレス(緊張)が解消されて、爽快になる、そういうパターンが多かった。

最近は、海外旅行から帰ったあと、よく風邪をひく。海外の町を歩いているときは、日本にいるときの、数倍は、自分でも気がつかずに、体に様々な負荷がかかる。海外旅行は楽しいが、体力をかなり消耗する。私のように、たいしてない体力をかき集めて海外へ行く者は、帰ってきてからのほうが大変である。

おそらく、一人ひとりに、風邪をひくそれぞれのパターンがあり、それを知っておくのは、よいことである。風邪の予感がするときに対策をほどこせば、寝込んで熱がでるのを防げる場合もある。

前回(9月26日ブログ)のビタミンCに加えて、私にとって、風邪をひきにくくするための、簡単で安上がりで効果があったものをご紹介しておくと、

1うがい――喉や鼻から侵入するウイルスを流し落とす――注意点としては、以前何かの本に書いてあったことだが、うがいは、「音を立てて、うるさく」、ガラガラ、ゴロゴロとやらないと効果がないということだ。上品に口をゆすぐ程度のうがいは、あまり効果がないそうである。以前は、「うがいなんて」とバカにしていたが、ゴロゴロ、ガラガラやるようになってから、効果を実感している。

2水分を十分にとる(特に空気が乾燥する地域に住んでいる人)――喉が乾燥すると、ウイルスが生存しやすい。

3体を温める――体が冷えていると、体の免疫力が落ちるので――ただし、外側から何かを着て温めるより、体の中から、温かいことが大事のようだ。体を温める食事、食品、しょうが、にんにく(もし味が嫌いでなければ)等を定期的にとることが、効果がある。


それでも、このように注意をしていても、風邪は、ひいてしまうときには、ひいてしまうのであり、それは冒頭に述べたように、よいことなのである。そのときには観念して、風邪の通過を楽しく待つしかない。

アルファ・オス(序列が一番上のオス)になりたい夫たち2007年12月06日 10時26分18秒

「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」と、夫に言われて、怒りがおさまらないという主婦の悩みを、たまに悩み相談のサイトで見かけることがある。

「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」という言葉は、昔から、夫婦喧嘩のときに、夫たちが、主婦である妻に投げつける定番の武器であり、私も昔、知り合いの主婦の人たちから、その怒りを聞いたことがある。

そして、機会があるときには、夫たちがその言葉を妻に言わざるをえない、動物脳の習性を説明してあげたこともあった。

その動物脳の習性とは、

ヒトも含めて集団をつくる哺乳類は、集団の中の序列を確定したがる、ということだ。そして、序列を確立したあとで、自分が他のメンバーに対してどういう行動をとるかを決定する。

よく知られている例が、犬で、犬を飼うときは、ペットの飼い主は、自分が犬よりも、序列が上であることを最初にしっかりと犬に教えなければならない。そうでないと、犬は、自分が家族の中のアルファ・オス(序列が一番上のオス)だと思い込んで、誰の言うことも聞かなくなるという。動物脳には、民主主義は理解できないのである。

私が知るかぎり、妻子を養っているほとんどの男は、「オレの稼ぎで、家族は生活している」と思っている。生活費とは、動物的解釈では、餌を運んでくるという意味で、動物の世界では、オスが餌を運んでくることができれば、それは、強いオス=集団の中で序列が一番上ということを意味する。

つまり、妻子を養っている男の脳では、「オレは餌を運んできているので、この集団のアルファオスだ」=「よってお前たちは、オレの言うことに従わねばならない」という解釈が成立している。

ところが、現実のヒト家族では、たいてい、夫であり父親である男の言うことなど、誰も無視して、従わない。そのことが、特に動物脳が強く機能している夫の脳には、耐え難いストレスとなる。「なんでアルファ・オスであるオレの言うことに、誰も従わないんだ? お前ら、なんか変じゃないか?」と。

動物世界では、みんながアルファ・オスに絶対に服従するので、こういった夫たちのストレスと疑問も、当然といえば、当然なのである。

人間の脳がある程度機能している夫の場合は、たとえ、「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」という思考が心によぎっても、もしそれを口に出して、妻に言ってしまったら、夫婦関係が悪くなるのを理解しているので、理性でとめて、言葉をこらえる。

さらに、もし神の脳が機能している夫であれば、「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」という思考がよぎったときに、その思考そのものの真実を疑うはずだ。事実は、誰かが誰かを養っているなどということはなく、ただ縁によって、いくつかのボディ・マインドが、家族として引き合って、神の意志によってお互いを支え合っているだけの話なのだ。「オレの稼ぎで、家族は生活している」などという思考そのものが、笑止千万である。

このように、「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」などという言葉と思考は、笑止千万であるにもかからず、家庭内でアルファ・オスの地位を名実ともに勝ち取ろうとあがいている夫たちにとっては、妻子を黙らせ、従属させる(そして、嫌われる)最強の武器でもある。

そして、もしそれを言われた妻の側が、いつまでも、うじうじ、ぐじゃぐじゃと悩み、怒るとすれば、その人の中にも、「自分は夫に養われている」という劣等感と負い目があるはずであり、敵(夫)はその弱点を攻撃して、従属関係を作ろうとするわけだ。相手の一番弱いところを攻撃するのが、動物的習性というものである。


夫婦喧嘩は、カップルが離婚する運命がない場合、激しくやりあったあと、仲直りするケースも多いので、妻の側も、一人で悩んで怒っているよりは、女の得意技、「口撃」で、反撃するのもいいかも、と私は思います。

「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」と言われたら、

「誰のおかげで、あんたは毎日、清潔なパンツをはいて会社へいけると思っているの?」と同様に笑止の言葉で切り返す、あるいは、

「あんたが私を食わせているって? ええ? そんなまさか!? 今日まで知らなかった……」と、ボケて見せる、あるいは、

「ごめん、実は今だから言うけど、内の子供たち、あんたの子供じゃないようなの……あんたの知らないところで、私も色々あってね……
今まで、本当にありがとう。自分の子供でもないのに、お金出してくれて、本当に感謝するわ」と白状して、さらに修羅場を作るか……

人は、親を踏み台にして、成長する2007年12月17日 18時58分00秒

先日、あるサイトで、「親に言われた一言で、傷ついています」という投稿に対して、「私も親にこんなこと言われて、傷つきました」という何百もの膨大なレスポンスが寄せられているのを見て、親子関係って、「永遠のトラウマ」なんだと改めて思ったものだ。

私も含めて、人生で知り合ったほとんどの人は、親との関係である種のトラウマやジレンマを抱えていた。親子関係の問題の根、それは、一言でいえば、「期待」である。親の種類にかぎらず、子供の種類にかぎらず、人間は、他の誰よりも、子供に期待し、親に期待する。つまり、「子供はこうあるべき」「親はこうあるべき」というテンコモリの期待や理想像を、自分の子供や親に押し付けるものだ。それはほとんど「親宗教」、「子供宗教」とも呼べるような、信仰に近いものである。

幼い子供から見ると、親は「神」であり、すべてのよきものは親から来るはずだと信じている。ところが、成長していくにつれて、親は食事や保護も与えてくれるけど、同時に、自分が嫌いなもの(小言、叱責、悪口、規律、しつけ、制限)も与えるようになり、「なんか、変じゃん、親って神様じゃなかったの? こんな変なものくれる神様なんか、大嫌い!」となる。親を誰より好きで、親に頼って生きているだけに、親(神)のイヤな面を見たときのショックも大きい。

では、親のほうはどうかというと、親にとっては、自分の子供は、自分の作品か投資商品という感じであり、それが自分のイメージや期待に合わないことをしだすと、これだけ手間ひまかけて育てているのに、こんな程度の成長かというような、期待はずれや失望感が湧き起こってくる。

親の人間的理性(人間脳)がちゃんと機能しているときは、「自分が思っていることを正直に子供に言ったら、子供は傷つくだろう」と自制が働き、言葉をこらえることができるが、親が生活苦やその他の過度の精神的ストレスにあるときは、自分よりも立場が弱い子供をそのストレスのはけ口にする。子供を攻撃したからって、仕返しされる怖れもないからである。

自分よりも弱いものを攻撃して、精神的安定をはかる――動物脳のストレス解消法である。そして、動物脳に特有なことは、自分が言ったこと、したことは、すぐにケロっと忘れることだ。そもそも自分の言葉にまったく無自覚で、ただストレスのはけ口に、思いつきで子供に言葉を投げつけるだけの話なのである。

ところが、言われた子供のほうは、親の言葉を何十年間も覚えていて(なにしろ、「神様の言葉」だから、そう簡単に忘れることはできない)、その間、ずっと傷つき続けている。サイトに書き込まれている、「親から言われて傷ついた言葉」をずっと読んで、私は、書いている人たちの親への怒りと、同時に、そういう言葉を子供につい言ってしまう親たちが、その当時どれほど不幸だったのかを想像してみた。

親子関係のヒーリング――それは、相手に対してもっているすべての「期待」、「親は子供を無条件に愛すべきだ」「子供は親の言うことに従うべきだ」などというような真実ではない信仰を、手放すことであり、親子関係で起きたことは、すべて起きるべき必然であったことを理解することである。

親子関係で起きたことは、学習・奮起の材料であり、親は人生の踏み台であり、反面教師なのである。そう理解できるまで、人は親子関係で傷つき、怒り、人生を後ろ向きに生き(親は過去の原点である)、前に向かうエネルギーを自分で奪っている。「親は完全無欠な神のようであるべき」という観念を捨てるとき、人は、自分の中にいる本当の「完全無欠な神」に出会う可能性が開かれる。

念のために言えば、「理解」とは、宗教系の人たちがよく説くところの「許しや感謝」とは、少し違うような気が、私はしている。「許す」という言葉には、「あなたは何か悪いことをしたけど、それを私は許してあげる」というようなニュアンスがあるが、理解とは、単に、「人がしたり言ったりするどんなことも、本人もコントロールできない、しかたのないこと」という積極的なあきらめのようなものであり、許す必要も、許される必要もないとわかることだ。

というわけで、私自身は、親を「許した」ことも、「生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう」と一度も親に言った記憶もない。そういう言葉を素直に言えないのが、私らしいところである。でも、今、親を心からありがたく思うのは、まだ時々私にたくさんお小遣いをくれることと(^_^)、80代になっても、相変わらず、口が元気(つまり、子供と喧嘩するエネルギーがあるということ)で、弱ってきたとはいえ、寝たきりにも認知症にもならずに、生きていることだ。


お勧めの本

「探すのをやめたとき愛は見つかる」バイロン・ケイティ著(創元社)
親子関係だけでなく、あらゆる人間関係からストレスを取り除いて、自分の中にある本当の愛を見出すための本。たった4つの質問を自分にすることで、
真理でない思考から解放される。

「人をめぐる冒険」高木悠鼓著 (マホロバアート)
 動物から人へ、人から神への意識の進化のプロセスを書いた本。人間関係に悩む人、精神世界の様々な観念に混乱している人、観念と現実のずれに悩む人にお勧めしたい。

存在という贈りもの2007年12月25日 21時17分37秒

気がつけば今年もクリスマス、年末のシーズンである。

クリスマスというと、何年か前、12月のパリで行われたハーディングのワークショップでの彼の言葉を思い出す。

そのとき彼は次のような趣旨の話をした。

「クリスマスの季節がやって来ました。今日、私は贈りものがいっぱい入っている袋をかついでいるサンタクロースです。これは私、ダグラスから皆さんへのプレゼントではなく、神から皆さん一人ひとりに与えられている極上のプレゼントです。私はそのことを伝えにやって来たサンタクロースです。神からのその贈りもの、それはこの地上のどんな物よりも比較にならないほど、すばらしい贈りものです。それは何でしょうか? それは、I AM(私は存在する)です。これほどすばらしいものはありません。これほど、私たちが自然に言えることはありません。誰もが、I AM~ (私は~である)と自然に言いませんか?」(このときの話は、http://www.mahoroba-art.co.jp/frame/main.html2004年12月26日号「パリ再訪」というコラムに掲載されています。)

髭がよく似合うハーディングは、本当にサンタクロースのような感じだった。

クリスマスの今日、彼のこの言葉以上に、今の私の気持ちを表現できるものはない。そして、ハーディングを含め、私がI AM(私は存在する)に気づくきっかけを与えてくれた先生たちと両親の写真を眺めながら、すべての人に恵まれている存在という贈りもの、私がこうして書くことを可能にしている存在という贈りものに感謝するのである。ありがとう、IAMさん!

* 本年のブログは本日で終わります。時間をさいて、読んでくださった皆様、コメントをお寄せいただきました皆様、ありがとうございました。
  来年は1月12日頃までに、最初のブログを書きたいと思っています。それでは、皆様、楽しい年末年始をお過ごしください。

お勧めの本
IAM(私は存在する)に気づくきっかけを与えてくれる本

「今ここに、死と不死を見る」ダグラス・ハーディング著 マホロバアート発行

「顔があるもの 顔がないもの」ダグラス・ハーディング著 マホロバアート発行

「アイアムザット私は在る」(ニサルガダッタ・マハラジとの対話) ナチュラルスピリット発行

「覚醒の炎」(ブンジャジの教え)ナチュラルスピリット発行

「あるがままに」(ラマナマハルシの教え)ナチュラルスピリット発行

「ポケットの中のダイアモンド」ガンガジ著 徳間書店

「なまけ者の悟り方」タデウス・ゴラス著 地湧社発行

マホロバアート
http://www.mahoroba-art.co.jp/frame/main.html 
「頭がない方法」(ハーディングのワークと実験に関するサイト)
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy
「神の実験室通信」メールマガジン(ハーディングのワークに関するメールマガジン)
http://merumaga.yahoo.co.jp/Detail/13595/
ナチュラルスピリット
http://www.naturalspirit.co.jp
スピリチュアルブック専門店ブッククラブ回
http://www.bookclubkai.jp