環境対策の矛盾2008年01月22日 13時06分05秒

リサイクル――今の時代では、それを考慮して生活するのは、常識となっている。怠惰な私だってやっている。ゴミは分別し、ペットボトルはリサイクルのため近くのスーパーへもっていき、お風呂の水は洗濯に使い、紙は、広告のチラシ1枚残らず、資源ゴミに出し、古着は海外の難民キャンプに送料を支払って送ってもらっている。トイレットペーパーやコピー用紙は、多少高くても、古紙混入のものを買う。よいことをしているという意識よりも、大量生産・大量消費の先進国に生活している者の罪滅ぼし、自己満足のようなものだと思っている。

でも、リサイクルを意識すると、色々時間がかかり、なんだか時々面倒になるときもある。

そんなときこの間、ペットボトルのリサイクルは、環境により悪いというデータを発表している学者のインタヴュー記事を読んだ。その方の研究によれば、ペットボトル1本をリサイクルするのに必要な石油は、約150グラムで、ペットボトル1本作るのに必要な石油は、約40グラム、つまり、リサイクルするほうが、3・5倍の石油を必要とするという。

その学者によれば、ペットボトルは可燃ゴミといっしょに燃やしたほうが、ずっと費用もかからず、環境にいいということである。つまり、ペットボトルのリサイクルは、多額の税金を使って、より大量の石油を消費するだけ、という、ちょっとショックな話だった。彼が言うには、コストを度外視したリサイクルは、大量生産・大量消費の免罪符でしかないという。その日以来、ペットボトルをどうするか、私は考えこんでいる。

大量生産・大量消費の免罪符――多くのいわゆる環境対策には、そんな面があるのは否めないような感じがする。先日は、製紙業界で、次から次へと古紙混入率の擬装が報道されていたが、紙の場合もたぶん、再生紙を作るのは、コストがかかりすぎるのかもしれない。

自分でもいくつか環境対策の失敗がある――待機電力を消費しないために、電気のコンセントをよく抜いていた頃、たびたびコンセントを抜いていたら、コンセントを壊わしてしまって(!)、かえって、お金がかかってしまった。それから、長持ちするというとても値段の高い電球を買ったら、普通のものより、早く切れてしまった、などなど。

結局のところ、一番の環境対策は、大量生産・大量消費しないことなんだと思うけど、それが実に今の先進国では難しいのである。「なるべく生産・消費しないようにしましょう」ということは、資本主義の価値そのものを否定することになり、生産高の減少=売り上げの減少=個々の人の収入の減少へと、導くからだ。だから、先進国の社会が、自らの意志で、「大量生産・大量消費」を止めることは、ほとんど不可能に近い。

最終的には、物を作る資源そのものが足りなくなり、物の値段が上がり、自然に「大量生産・大量消費」できなくなり、物が昔のように貴重になり、人々に本当に「もったいないの精神」が普及する――それが、これからの地球の意志ではないかと、私はそう感じている。

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