「結婚」40年目の日中夫婦関係2012年09月25日 13時27分30秒

日本と中国の国交化40周年の節目の時期に、両国の関係が大荒れしている。人間に例えれば、結婚40周年に、夫婦が大ゲンカをしているようなものだ。

日中夫婦は価値観や文化・感性が非常に異なる者同士の「結婚」で、普段もとりわけ仲がいいわけではないが、それでも過去40年間、経済的にはお互いを支え合い、お互いの経済的繁栄に寄与し、今では相手なくしてはほとんど生活できないほど密接な夫婦となっている。

その証拠が日本にあふれる中国製品と中国にあふれる日本製品である。つまり、経済的には非常に深くお互いが相手国へ浸透してしまったということである。

ところが、それ自身一つのシステムである国家は、本当は他国の文化や製品が自国システムに侵入というか浸透することは、システムの独自性を維持するという観点から見れば、あまり好ましいことではない。過度に影響を受け続けると、自国システムが分解・崩壊する危機があり、だから、国家間は親しくなりすぎないように、時々、問題が起きるようになっているのである。

問題が起きると両国の国家主義的意識が目覚め、「私たちは本当は、絶対的に違う存在であり、私たちは絶対にあなた色には染まりませんから」と、お互いの分離と独自性を相手に宣言せざるをえないのである。

これは恋人や夫婦、親子のような人間関係にもよくある話で、お互いが親しくなって、もっと親しくなろうとするときに、何かの問題や不和や諍いが起きて、「自分と相手は本当は全然違う存在であり、お互いに理解しがたい」ということをイヤというほど知らされることがよくある。それも人間システムが自己システムを守るためのある種の免疫機能のようなもので、だから親しい関係には「苦痛」がともなうのである。

システムは絶対に他のシステムとは一つにならないというか、なれないのであり、私たちのまわりにある机、椅子、パソコン、プリンターなどの物システムや様々な人間システムが決して現象的には一つにはなれず、一つになれないゆえに、システムとして独自に機能しているように、人間システムも国家システムも他人や他国とは決して一つにはなれないのである。

それを無理やりやろうとすれれば、その時に起こるのは「衝突」であり、人間マシンが机にぶつかれば、苦痛を感じるように、国家間システムもあまりに近づきすぎ、浸透しすぎれば、それは「苦痛」となる。

二国間の関係においては、経済的に貧しく不自由な国のほうが、経済的に豊かで自由な国の影響をより大きく受けるのが原則である。日本と中国の場合、中国が日本に与えてきた影響よりも、日本が中国に与えてきた影響のほうがはるかに大きいゆえに、二国間に何か問題が起きれば、中国の人たちのほうがその苦痛に過剰に反応するのは当然のことである。今回の中国での反日暴動は、「まだ日本が中国よりも経済的にはるかに豊かで有利な立場にいる」ことを、はからずも証明したというわけである(今から数十年後には、立場逆転ということもありえるかもしれないが)。

そしてパソコンのシステム同様に、国家システムは何らかの脆弱性を抱えるのが常である。現在の中国システムの脆弱さは、システム内部に経済的繁栄に見合う活動・表現の自由がないことと、途方もない経済的格差が存在することであり、日本システムの脆弱さは、システムの老朽化、つまり「老い」である。

日本と中国の軋轢は、「相手のシステムが浸透しすぎました」という免疫機能からの警告のようなものであり、お互いのシステムが自らの脆弱さを認識したということである。しかしどれだけケンカしても、日中夫婦は、離婚は無理だろうから、「仲良し」の時期と免疫機能による疑似「戦争」期を繰り返しながら、これからも末永く経済的結婚を続けることであろう。

日本ではまた政治スポーツの季節が始まろうとしているが、こういう時期にふさわしい指導者は、軍人系で日本の国家免疫部長のような石破さん(自民党総裁候補)あたりだろうか……




コメント

_ R4isdhc-silver ― 2012年09月25日 14時43分12秒

すごいですね

_ TK ― 2012年09月25日 20時21分15秒

読んで、なるほどと感心しました。
システムとか免疫機能に置き換えてみると、冷静に考えられますね。

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