非二元系の教えの単純な結論と探求の一般的プロセス2016年12月06日 15時50分26秒

私の会やコンサルティングに来られる皆さんとお話してよく気づくことは、非二元系の教えの言葉(用語・表現)関して混乱があるということだ。その混乱は考えてもみれば、当然のことで、その理由は皆さんが(出版の仕事をしている立場からすればありがたいことに)、たくさんの本を読んで、あれこれ考えるからである。

非二元系の教えを教えている(あるいは教えていた)賢者の方々はそれぞれの文化、国によって非常に異なる言語を使い、それぞれの人がまた異なる表現スタイルをもっている。そして、文章を書くタイプ(ダグラス・ハーディングやラメッシ・バルセカールなど一部の賢者)を除けば、多くが即興でその場で語られたもので、だから、あるときはある人にはあることを言い、別の人にはまったく正反対なことを言うという矛盾が本の中でも見られることもある。(ニサルガダッタ・マハラジの講話はこの特徴が顕著だ)

なので、そういった多様な本を読んでいると、用語で混乱し、また質疑応答で混乱するという事態に陥ることがある。

「私の本質」(私はこの平凡な表現が好みだが)、それを表す言葉は――神、意識、真我、 スピリット、仏性、絶対、パラブラフマン、至高の実在、その他――と、多岐にわたる。

そうすると、それぞれの本の中でそれぞれの人が使っている、たとえば、「神」と「真我」と「意識」は同じことを言っているのかという質問がわくわけである。

当然な質問なのだが、これに決着をつける方法は、非二元系の本を読むときは、注意深く読んで、言葉を超えてその賢者が何を言わんとしているか、瞑想的に考えることである。

それから、どんな賢者も文化的な条件付け、個人的好き嫌いをもっていて、そういった文化的条件付けや個人的好き嫌いから出てきている発言は重要じゃないので、深く考える必要はないし、基本無視(笑)でいいと私は思っている。。
 
で、そういった古今東西の多様な賢者が多様な表現で語ってきた非二元系の教えに共通した核心とは非常にシンプルなもので、それを以下に簡単に箇条書きしてみると……

*私の本質は一個(一人)の人間(物体・固体)ではない。

*私の本質は永遠に変わらないものであり、永遠に今ここにある。

*私の本質は永遠なる平和、不死、愛である。

*私の本質は達成されるべきものではなく、ただ気づくためのものである。

*あらゆる存在の本質は一つである。

*束縛されている人(実体)もいないし、解放される(悟る)人(実体)もいない。

* 涅槃(神の王国)は私たちの中にある。

*涅槃(神の王国)と世俗(人間の世界)はコインの表裏のようにピッタリ合わさっている。

*私たちが自分の本質に目覚めるとき、それは人(人間としての自分)が目覚めるのではなく、人(人間としての自分)という夢からの目覚めである。


そして、以上の結論を聞いたあとの一般的プロセスとしては、

1まず最初に私たちは少なくとも知的にその結論を受け入れる。

2色々な本を読み、様々なワークの場で出かけ、瞑想したりその他ワークをおこなう。

3特に自分に合うと思う本やワークを見つけたら、集中的にそれを学ぶ。

4知的に信じていただけのことが、次第に経験的にわかるようになる。

5最初に述べたような、言葉やマインド次元の混乱がしだいにおさまってくる

6非二元の教えへのマインドからの様々な抵抗にも気づく。

7その間(特に若い時代は)、探求と同時に、恋愛、結婚、子育て、仕事等でも何かと忙しく、世俗人生からも学ぶということが強いられる。

8しかし、探求に本気の人はどれだけ忙しくても、障害があろうとも、その探求をやめることはできない。


9最終的には、以下の確信に落ち着く。

*私の本質に目覚めるために、今ここ以外のどこかへ出かける必要がない。
*私の本質に目覚めるために、私の存在以外の、本、ワーク、グル(先生)、何かの組織は必要ない。
*私の本質への目覚めは、昨日でも明日でもなく、今ここにしかない。

*でもさらに言えば、(もしそうしたいなら)どこ(誰のところ)に出かけてもかまわないし、どんなワークをしても本を読んでもかまわないし、(犯罪等でなければ)自分がしたい何をしてもかまわない

そういった探求の途中で、非二元系の教えを学んでいる人たちは、「自分は最終的にこの探求から何を得るのだろうか?」という疑問が湧くことがあり、そして「ひょっとしたら、人間的には何も得るものがないのかもしれない」ということに気づいて、嫌気がさして、別のスピリチュアルに向かうか、あるいはスピリチュアルの探求そのものをやめてしまう人たちもいる。
 
実際に、「非二元の探求から何が得られるのか?」に対するその答えは、「『自分』が得るものなし」  という非常につまらない(笑)というものだ。ぎりぎり言って、それは「何かを得たいという『自己』の不在」、愛、死と不死、平和という形而上学的問題に関する疑問の解消、そして世俗生活に関しては、(よいことも悪いことも)来るがままに起こるがままに神(私の本質)の意志を単純に受け入れていくということでしかない。

非二元の教えは素晴らしいものでもなく、素晴らしくないものでもなく、他のスピリチュアル(新興宗教とかキリスト教や仏教などの伝統的宗教、またその他多種多様なスピリチュアルな教え)よりも優れているわけでもなく、ただスタイルや方向性が違うというだけだ。

他のスピリチュアルな教えと顕著に異なることは、それは大勢の人たちを惹きつけないし、探求に関しては他人のことに一切かまわない教えであり、ただ「私とは何か?」にだけ関心をもつ教えである。

なので、新興宗教系などとは違って、家族や親しい友人であっても、興味のない他人を勧誘したり、引き留めたりするようなことはしてはいけないし、ただ自分のことだけを探求するという態度であるべきだ。

そういう意味で、非常に孤独で、精神的タフネスが要求され、私が思うに、非二元の探求は他人にかまわないという意味で、非常に利己的とも言えるかもしれない。個人的自己がないという教えでありながら、その探求が利己的だと言うのは言葉では矛盾するが、でもそういうものなのだと思う。

そして、ここが肝心なところだが、ラメッシ・バルセカールの本「意識は語る」の質疑応答(ページ611)にもあったように、誰も自分の意志で、「得るものが何もない」こんな奇妙な探求を選択したわけではないということである。

質問:人はこの探求によって無理やり連れて行かれるのです。

ラメッシ:このすべては全体性の機能の一部です。そして「無理やり連れて行かれる」というのは、とても正確です(笑)。それは言い得て妙です。なぜなら、それが起こっていることだからです。

質問:だから、私たちはもう一杯ビールをついで、それを楽しむべきなのですね(笑)

ラメッシ:それ以上にはうまく表現できないことでしょう。

非二元の探求を(そもそも人生の何事も)自分の意志で選択した人は誰もいない…そのことが本当に納得できるとき、ラメッシが言うように「罪悪感、嫉妬、プライド、憎しみ、」から解放され、探求の先行きさえ、何だってかまわないのである。(私はダグラス・ハーディングとは全然表現スタイルが異なる、ラメッシのこういう軽い調子の会話も大好きだ)

ということで、無理やり探求に引きづりこまれた同志の皆さん、何かとお酒を飲む機会が多いこのシーズン、次回お酒を飲む機会がある人は、お酒をついで、飲まない人はジュースをついで、非二元の探求に引きづりこまれた自分の運命を(まわりに気づかれないようにこっそり)祝うか呪うかしてください――私も、無事今年も師走を迎えたお祝いに今晩は久しぶりにお酒(福島の日本酒)を飲もうと思っている。
 
「TK様への質問の答え」
「『答えがない』とか『答えられない』ではだめなんでしょうか? 」
ハーディングのワークの感想や答えに関しては、
何がよくて、何が駄目ということはありません。
もし答えられないなら、まさにそれがその瞬間の答えです。

「お知らせ」
 
ダグラス・ハーディングの新刊「存在し、存在しない、それが答えだ」(ナチュラルスピリット発行 本体価格 2300円)が発売されました。

目次は下記のサイトに掲載してあります。
http://www.simple-dou.com/CCP041.html
  

「お知らせ」

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コメント

_ sara ― 2017年02月23日 16時09分27秒

精緻、簡潔、多面的、包括的… なご説明ありがとうございました。数冊の非二元の本と数十冊の仏教の本を読んでうろうろしている身には、すごく参考になる内容でした。

といいつつ、疑問といたしましては、この説明に対して、全然違う!という、非二元系の先生もいるのか、ということです。例えば真我はなくて無我無常でしょ、という非二元の方はいるのでしょうか。もし機会があればお書きいただければありがたいです。

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