仏陀の教え――「般若心経」(1)2023年12月11日 14時29分47秒

[イベント】

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2023年12月17日(日曜日)午前9時から午前11時頃まで
2023年12月21日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

[お知らせ]



*1994年10月に、バーソロミューが京都でおこなったワークショップの記録を下記で公開しています。(英語と日本語通訳の音声と日本語字幕付き)。現在(1)から(15)まで公開中。


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』が発売されました。

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



もし歴代の有名なスピリチュアルな先生から一番好きな先生を選ぶとしたら、私は迷わず仏陀を選ぶと思う。

と書くわりには、私は仏教と仏陀の教えを系統的に学んだわけでもなく、私が知っている仏陀の教えは、唯一愛読している『般若心経・金剛般若心経』(岩波文庫版)とその他わずかに読んだ仏教関係の本、そして、またダグラス・ハーディングの著作から学んだことに限られている。だから、私は深い信仰をもった仏教徒というわけではなく、ただ仏陀の教えに共感する、勝手弟子であり、気ままに自由に彼の教えを理解している。そして、仏陀もそれをゆるしてくれるものと確信している。

仏陀の教え、「すべては空(くう)である」は非常に自分になじむ。「何かがある」ことよりも、「何もない」ほうが私の気質にははるかにしっくりくる。「何かがある」ことは興味深いが、複雑だし、楽しくもあるが、それをめぐる争いも多い。なによりも、何かが「ある」ことの喜びは一時的で長続きしないし、そして、人間のマインド自体が「ある」ことにはすぐ飽きる。

他の所でも書いた話だが、私が睡眠を愛するのは、眠ると、すべてが一時的に「なくなる」からだ。目覚めているとき、あれほど騒いでいたマインドも、マインドによる苦しみも、熟睡したとたんになくなってしまう。まだスピリチュアルにまったく興味のない頃から、私にはこのことが非常に不思議だった。

ちょうどそんなことを考え始めていた頃、私は大学の講義で「般若心経」と出会い、それは後々考えてみると、最初のスピリチュアルな一撃であった。本当は隅のほうで、居眠りでもしていようという授業だったはずが、受講生がほんの5、6人しかいず、全員が前列一列に並ばされ、居眠りするわけにもいかず、私はそれこそ毎回、口をぽかんと開けた状態で、教授の話を聴かされた状態だった。

なぜ、「口ぽかん」の状態かというと、私は「般若心経」の中の言葉、そしてその教授の説明もまったく何も理解できなかったからだ。生涯初めて、そんな難解なテキストに出会い、衝撃を受け、しかも、それが仏教の最高の経典とされ、世界中の仏教僧が毎日、読経していると知り、その人たちはこの内容を理解して読経しているのか、とすごく驚きもした。

ところがまったく理解できなかったことが、逆に私の中の何かを目覚めさせ、私はこの講座が終わったあとも(たぶん昭和50年頃=1975年頃の話)、そのテキストを捨てることなく持ち続け、時々読み返しては、「なぜこんなに熱心に読んでも、理解できないのだろうか?」とパズルを解くように考えたものだった。

特に最初のほうの、「色不異空」ここでまず私は躓いた。私がもっている『般若心経・金剛般若心経』(岩波文庫版)は、この部分を次のように訳してある。「この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得る)のである」。

同じように、色即是空 空即是色の訳も、前の文章をまとめるように、次のように訳されている。「(このようにして)、およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ、実体がないということは、物質的現象なのである」

この文章を読んで、「物質的現象に実体がないって、どういうこと? だって、物質って、目に見えるし、触れば、硬いし、ちゃんと実体があるじゃないの」と、私の常識的未熟な思考はいつも抗議したものだ。

私たちの常識的思考にとっては、「実体がある」とは五感で感じられることである。現象世界では、それを「現実」と呼んでいる。自分の肉体(だと思っているもの)が、怪我をしたり、病気になったり、誰かに殴られたりしたら、苦痛を感じるし、それが常識思考にとっての現実(実体)である。常識思考にとっては、「感じられること(もの)」それが現実(実体)である。

物質的現象は、「実体がない」とか、「幻想」と言うには、あまりにリアル(現実)ではないか? 私のマインドは、「般若心経」を読むたびにストレスを感じ、頭の中には100個もの????が点灯したものだった。(次回へ続く)


[昨年の発売された本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト


海外の方は、USアマゾンからもダウンロードできます。
『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』
https://www.amazon.com/dp/B0BBBW2L8B/ 

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うためにhttps://www.amazon.com/dp/B0BC5192VC/


『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)