コロッケ2007年11月01日 23時04分52秒

本日は、私の大好物、そして日本人の大好物のコロッケの話である。

子供の頃、母が作ってくれたコロッケ、そして、近所のお肉屋さんのコロッケ、親戚のうちに遊びに行くと、いつもおばさんがお昼に出してくれたコロッケなど、子供時代のコロッケの味は、幸福な思い出と結びついている。

今でも、「そうだ、今日はコロッケを食べよう」と思い、財布から100円玉とか500円玉を出して、コロッケを買うときは、子供のときに、母のお使いで、コロッケをたくさん買いに行った日のように、私はなぜだかとってもリッチで、楽しい気分になる。

コロッケは、値段が安く、味が飽きず、大人から子供まで、誰でもいつでもどこでも食べれて、主食にも副食にもなれる、日本人の国民食の一つといってもいい、不思議な食べ物である。

でも、コロッケは、その語源がcroquette(クロケット)というフランス語であるように、元々はヨーロッパが起源の食べ物なのである。

しかし、私がヨーロッパを旅行したとき、不思議に思ったことは、お惣菜としては、コロッケは、日本ほど人気がないらしいことだ。スーパーや街角の店の店頭でもほとんど見たことがなかった。

そして聞いた話によれば、日本人が好きな、コロッケパンなどは絶対にないそうなのである。その理由は、ジャガイモは、ある種の主食扱いなので、コロッケとパンの組み合わせは、日本人の感覚にたとえていえば、ご飯のおかずに、パンを食べるようなものなのだとか。同じ理由で、パンにポテトサラダという組み合わせも変なのだそうである。私は、旅先では、手軽なので、ハムとチーズ入りのサンドイッチを食べること多いのだが、たまにはコロッケパンのようなものが食べたいなあ、と思ったことがある。

さて、コロッケは大好きなのに、実際コロッケを自分で作るのは難しいと、長年私はそう思ってきた。確か、記憶によれば、一度くらい自分で作った思い出があるのだが、揚げるのに失敗して、散々な結果だった。冷凍コロッケさえ、よく揚げるのに失敗して、最近は何年も自分でコロッケを揚げたことはなかった。

ところが先日、以前買った料理の本をパラパラとめくっていたら、おいしそうなコロッケが紹介してあり、突然揚げたてのコロッケが食べたくなった。そして、コロッケの失敗しない揚げ方をネットで探したら、下記のサイトに出ておりました。

なーんだこんな簡単な方法があったのかというくらい、失敗しないシンプルな方法が書かれてあった。私は本と下記サイトよりもさらにもっと簡単にして、洗ったジャガイモは皮つきのまま電子レンジでゆで(皮もそのまままぜて食べる)、肉はなし、タマネギは生のまま細い千切りにしていれる、という具合に超シンプル、超安上がりで、作ってみた。その日以来、毎週私はコロッケを揚げている。

揚げたてのコロッケの至福――おいしかったです。(^_^)

(材料:ジャガイモとタマネギ 味付け:塩とコショーとバターと粉チーズ:所要時間約20分)
(ジャガイモに入れるバリエーションとして、刻んだキャベツや納豆、ツナ缶なども、おいしい)

参考図書:「野菜1個のイタリアン」(山田宏巳著 幻冬舎)

NHKためしてガッテン
http://www3.nhk.or.jp/gatten/archive/2007q4/20071010.html

小沢さんがかかえる絶対矛盾2007年11月09日 10時20分25秒

政界で、トップの人たちの奇妙な行動が続いている。9月に安倍さんが、唐突に政権を放り出したかと思えば、今度は民主党の小沢さんも、連立構想、突然の辞任表明、そして辞任撤回とは、さあ、これから第二ラウンド政治スポーツ決選を見たい国民にとっては、「いきなり、自民と民主の連立、そりゃないだろう」という感じである。

が、小沢さんという政治家の精神構造を考えてみると、今回の一連のドタバタは、政治の問題というより、小沢さんの心がかかえるトラウマ、そして絶対矛盾のせいだと見るほうがわかりやすい。

その風貌ともあいまって、豪腕、強面、強権のイメージがある小沢さんだが、彼は、実は、小心で、純情な人であり、非常に「情」に弱い。つまり、誰かが礼と情を尽くして頼むことに対して、「NO」をなかなか言えない人なのである。

しかし、「NO」が言えない性格は、その弱さを人に利用される危険性があり、政治家としてはマイナスでもある。だから、その自分の弱さを隠すために、彼は表面的には、豪腕、強面、強権のイメージを振りまかざるを得ないのである。

それゆえ、本当は、すごくいい人で、情に厚いのに、たくさんの人に嫌われてしまうという矛盾を抱えてしまう。そして、嫌われてしまうと、何だか萎縮して、やる気がなえて、すべてを投げ出したくなる性格でもある。権力を人一倍渇望しながら、でも、権力にかぎりなく近くなると、嫌われるトラウマがまたうずき、自分で、自分の夢をぶっ壊してしまう行動に出る――それが、小沢さんが、かかえる絶対矛盾なのである。

あるいは、こんなふうにも言えるかもしれない――小沢さんという人は、能力的には、人前にでる党首よりも、幹事長とか選挙対策委員長のような裏方に向いている。が、彼の性格としては、他人に従わねばならないNo2とかNo3の地位がつとまらない。これも彼がかかえる絶対矛盾である。

そこで、今回の小沢・福田密室会談を大まかに想像すれば、(おそらく小沢さんの性格を熟知していただろう)老獪な福田さんは、かなりの平身低頭で、テロ特別法案への協力を頼んだはずである。

その平身低頭と自分への敬意に、小沢さんは、「自分より年上の首相が、ここまで頭を下げて、頼むなら、協力してもいいいかなあ」と「情」がかなり動いたにちがいないのである。もともと彼も、親米であるし、アメリカの機嫌を損ねてはいけないという危機感は、自民党と共有している。ただ野党の大義名分として、自民のテロ特別法案に反対しているだけで、別に本当は、賛成しても、彼としては、問題はないのである。本音では、彼もアメリカには嫌われたくはない。

それに前回の参院選で、精力を使い果たした小沢さんは、なんとなく次回の衆院選を頑張る気力がわかない。そこで、唐突に、「ええい、もうこのさい、自民との連立でもいいか」みたいになってしまったのだろうと、私は想像する。

ところが、自分の部下のような人たちに、自分の案に「NO」を突きつけられ、いつものごとく、また嫌われるトラウマがうずき、「そんなにみんなオレが嫌いなら、やめればいいんだろう」とやけっぱちの辞意(嫌われるトラウマを持っている人は、自分の考えへの「NO」を、自分の存在への「NO」だと誤解する)。

でもまた、みんなが情と礼を尽くして頼むと、「情」が動き、恥も外聞もなくあっさり辞意撤回。まあ、カワイイというか、甘えているというか――彼の心には、自分の身近な人に対して、「説明なんかしなくても、俺の心くらい、わかれよ」という子供じみた甘えがある。(蛇足ながら言えば、日本全国の中高年の男性には、この小沢さんタイプの人が多く、言葉が足らないゆえに、妻や子供や部下に嫌われる人が多い)

今回のドタバタが民主党のイメージを下げるかどうかは、小沢さんご自身が自分のことを言っている、「不器用で口べた」というイメージ、そしてストレスで疲れているオジサンが精一杯頑張るイメージを、国民に共感してもらえる形で、「売れる」かどうかにかかっていると思う。民主党の皆さんには、スポーツの喜びを失わずに、そしてピンチをチャンスに変えて、これからも頑張っていただきたいものだ。


さて、こういった人の心がかかえる「絶対矛盾」――Aのことを強く望みながら、同時に自分でAを無意識に否定する行為をすること――それは、ほとんどの人の心にあるものなのである。おそらく、今この文章を書いている私自身の中にも、読んでいる人の中にも。

サル化する脳2007年11月17日 14時30分14秒

以前、チンパンジーがどれくらいお預けを我慢できるかを実験している映像を見たことがあった。

チンパンジーの前に、バナナなどの好物がずらり並んでいる。しかし、彼は、自分の主人(人間)が戻って来て、食べてもいいと言うまで、食べないように命令されている。その様子をカメラが写している。彼は食べたそうにじっと食べ物を眺めて、ときどき、誘惑にかられて、手を出しては食べ物に触ってみるのだが、またあたりを見回しては、我慢して手をひっこめる。主人が戻って来るまで、彼はこれを何回も繰り返していた。

私はこの映像を見ながら、このチンパンジーの脳は、かなり人間化しているなあと思ったものである。彼は、主人の命令という大儀のために、本能を抑制しているからだ。

もしこれが訓練を受けていない野性状態のサル、チンパンジーであれば、目の前にごちそうがあるとき、決して本能を抑制することがない。ただ飛びついて食べるだけ。

ところが、訓練を受けて脳が人間化するとき、チンパンジーの世界に主人の命令という大儀が入ってきて、彼はその大儀のために、本能を抑制することができるようになる。

同様に、盲導犬のように高度に訓練を受けた犬も、仕事中は、食べ物などの匂いに反応しないように、しつけられている。盲導犬もまた主人の命令という大儀のために、本能を抑制することで、仕事をすることができる。

話はとんで、防衛省前事務次官の守屋さんのゴルフ接待三昧の日々―――私は、「官僚サルにお預けは、無理なんだろうなあ」と思いながら、守屋さんの脳のサル度をニュースで読んでいた。彼は、目の前においしい好物(ゴルフや高級料亭での接待や天下りのお約束)が差し出されたら、「迷わず、躊躇なく」とびつく日々だったようです。

ほとんどの人たちが知っているように、国家官僚も含む公務員には、公務員規定というもの(大儀)があり、本当は彼らにはやってはいけないことがやまほどある―――特定の業者からの接待やプレゼントを受けてはいけない、倫理に反するような知人や親戚や業者の頼みを受けてはいけない、裏金を作ってはいけない等々。

ところが、公務員にはたくさんの権限(権力)があり、その権限(権力)は出世するほど大きくなる。そして、その権限(権力)ゆえに、彼らのところには、たくさんの人たちが、好物のお土産(ゴルフや高級料亭での接待、天下りのお約束等)をたずさえてやって来る。

公務員規定という大儀を守るために、本能を抑制して好物のお土産を断れるような人は、人間の脳が機能している立派な公務員と呼べるが、おそらく立派すぎて、まわりにはあまり好かれず、出世コースからもはずされてしまうだろうと、想像できる。

公務員・官僚業界で出世するために、多くの官僚たちの脳は歳をとるにつれてサル化し、トップに上りつめる頃には完全なサル状態―――守屋さんの状態―――自分のお金と他人のお金と、公のお金(税金)の区別がまったくできない状態。

では、民間のほうが、公務員・官僚業界よりましかと思えば、最近の様々な企業の不祥事は、民間のトップも脳がサル化している人が多いことを露呈している。

最近、食品の期日擬装が発覚したある有名会社―――トップが責任をとらずに、現場のパート社員に責任を押し付けている―――サル役員は、会社の信頼回復という大儀よりも、自分が傷つきたくないという本能を最優先している。さらに自分が、パート社員よりもはるかに高給をもらっているのは、その中に責任料が入っているからだということも理解できない。

大組織は、脳がサル化しやすい(?)―――組織に入ったばかりの若い頃は、すぐれた立派な人が、何十年もたつと、立派なサル―――進化論から考えると、興味深い問題です。


お勧めの本(サル化している組織で快適に過ごすヒントが、得られるかもしれません)

「ピーターの法則」L・J・ピーター著 ダイヤモンド社
大組織では、人は出世するほど無能化(サル化)するという法則を明らかにして、
世界的ベストセラーになった本。

「愚か者ほど出世する」ピーノ・アプリーレ著 中央公論新社
「ピーターの法則」をさらに1歩すすめて、大組織に有能な人は必要なく、大組織は無能な人たちで機能することを分析した本。

働けど働けど……2007年11月23日 13時57分11秒

原油、とうもろこし、大豆等、生活必需品の価格が高騰している。

経済関係のニュースによれば、その理由は、現在の需要と供給という実体経済上のものではない。

普通、物の需要に対して供給が足りないとき、物の価格が上がるというのが、経済の法則である。が、今回の急騰は、ギャンブル・マネー(私は金融市場を動き回るマネーをそう呼んでいる)が商品市場に大量に入って、ギャンブル遊びをし始めたから、というのがその理由らしい。

なぜギャンブル・マネーは、商品市場に入ってきたかといえば、
ギャンブル・マネーは、アメリカ経済の減速等の理由から、その通常の遊び場である株式市場や債券市場よりも、商品市場のほうが、今、ギャンブルをやる遊び場にふさわしいと決めたようなのである。

大量のギャンブル・マネーが商品市場に入ってきたとなると、その影響(普通の人たちにとっては、ほとんどの場合、悪影響)は計り知れないほど大きくなる。

当然、原料、燃料が上がると、商品価格も上がらざるをえない。が、普通、企業は、原料の値上げの全部を価格に上乗せするのは、ためらうものだ。なぜなら、商品価格が高くなると、人々は買い控えするようになり、売れなくなるからである。

そこで、仮に原料が20%上がったら、10%だけ価格に上乗せして、残りは、「コスト削減などの企業努力」で頑張りますと、たいていはそういう話をする。

企業がいう、「コスト削減などの企業努力」というのは、ほんとんどの場合、人件費の削減(=給料の据え置き、ボーナスのカット、正社員をリストラし、派遣、アルバイトを増やす)から始める企業が多い。

となると、給料生活者たちにとっては、生活物価は上がるにもかかわらず、給与は増えず、しかも職場は忙しい、しかも中小企業には常に倒産のリスクがあるという、3重苦、4重苦の苦しみとなる。

「働けど働けど わが暮らし楽にならざり じっと手を見る」――100年ほど前、石川啄木は、自らの貧困生活を歌の中で、こう嘆いたが、それと同じような閉塞感、失望感、貧困感が先進国の社会全体に急速に広がっている。

世界にはお金(というよりマネー)が腐るほどあり余っている。それにもかかわらず、多くの国が貧困にあえぎ、先進国の多数の国民の経済環境さえ、どんどん悪化する現状――私に言わせれば、それはとても奇妙な事態である。


参考図書
*「楽しいお金3」(高木悠鼓著 マホロバアート発行)
マネーあまりなのに、なぜ世界は貧困化するのか、この奇妙な事態を解明した本。

*「ニッケルアンドダイド」(バーバラ・エーレンライク著 東洋経済新報社)
ジャーナリストの著者が、アメリカの下流社会の労働環境を調べるために、みずからその世界に飛び込んで、書いた渾身のルポルタージュ。2つも3つも仕事をかけもちしながら、最低の生活を支えている人たちの現状を、ユーモアをもって記録している。アメリカのこの現状は、日本の未来(すでにそうなりつつある)でもある。