橋下大阪府知事の奮闘2008年06月26日 09時45分54秒

大阪府政を大改革しようと奮闘している橋下大阪府知事は、世論の圧倒的支持を得ている(80%以上)そうである。

世論が、彼を支持するのは、それは、彼が自分の職場や組織のトップではないからだ。利害関係なく傍観しているだけなら、彼は面白いし、楽しい。しかし、そう彼を好ましく思っている世間の人たちも、もし彼が自分の勤めている会社の社長になって、「これから、みんなの給料やボーナスを大幅カットするけど、それにもめげず、これからも頑張って会社のために働いてくれ」と言ったら、ほとんどの人たちが、「誰が一生懸命に働いてやるもんか」と思い、彼を大嫌いになるはずである。

橋下氏は、自分の能力に自信がある。そして、知事としても、自分の能力をどうしても証明したいと思っている。彼のように自分の能力と腕一本で、成功してきた人間には、公務員のように、組織で働く人たちの行動や脳のパターンをほとんど理解できない。そして、そこにある種の落とし穴があるのだ。

私がいつも思っていること――「Aの場所での成功法則は、Bの場所での成功法則ではない」からみると、彼の自分の能力への過信が、彼が望むことの実現を阻む可能性が高い。知事として彼が言っていること(府政の借金を減らす)が、正論であればあるほど、府庁の職員たちの反発を買い、士気は下がり、仕事の能率も落ちるだろうと、予想できる。

先日、ご紹介した「リアリティ・トランサーフィン」(徳間書店)の本に、こういう話が書かれてある。

「あなたは仕事で猛烈ぶりを発揮していて、そのことでこれまで培われてきた物事の秩序を乱しているとしよう。職場で改善すべきことが数多く見受けられ、自分は正しく行動しているという絶対的なまでの確信をあなたは持っている。しかしながら、あなたの新しいやり方が、同僚たちの人生で馴染んだやり方と相容れないのであれば、良いことは何も期待できない。これはまさに「言いだしっぺは罰せられる」という諺通りのケースである。あなたは、ゆっくりではあるが、穏やかで順調な流れに乗っているのに、もっと速く泳ごうとして両手を水面に全力でたたきつけているのである」(331ページ)

かくして、改革派知事の熱意というものは、挫折の憂き目を見るという結果になることが多い。