執着と嫌悪2009年04月26日 17時50分02秒

スピリチャルを学んでいる人たちは、たいていの教えや団体で、「何事にも、執着してはいけない」「執着を手放しなさい」と教えられることが多い。

しかし、私が経験・見聞してきたことによれば、「執着を手放しなさい」と教えられたからといって、そう簡単には執着のほうは、自分から出ていかないものだ。

最近、発見したことは、執着ではなく、むしろその裏側にある嫌悪を理解し・解放したほうが、執着も自然に出て行きやすくなるような感じがしている。

執着とは、「対象を掴んで離したくない感情」であり、

嫌悪とは、「対象からできるだけ逃げたい感情」であり、

運動方向は正反対ながら、自分にとって対象が「非常に重要である」点で、根は同じところにある。

私は、自分も含めて、スピリチュアルを探求している多くの人たちは、自分の執着をよく理解しているわりには、自分の嫌悪については無意識であり、嫌悪とは色々な形をとることはあまり理解されていない。

たとえば、
スピリチュアルな世界の一部に見られるある種の厭世観も、嫌悪である。
自分や他人の行為・言動への批判も、嫌悪である。
過去の苦しみを二度と味わいたくないと思うのも、嫌悪である。
こんなもの(人・行為)を見たくないと思うのも、嫌悪である。

そして、嫌悪とは中々の曲者(トリック・スター)で、自分の過剰な嫌悪の結末に、思いがけない状況で出会ってしまう場合がある。

往々にして、「私はAが嫌いだ」「私はAの苦しみを二度と味わいたくない」「私はAを二度と見たくない・経験したくない」「私はAからできるだけ逃げたい」と強く思えば思うほど、再びAの経験に出会ってしまう確率が高くなるようなのである(笑)――が、私たちは、無意識にこういう嫌悪の感情に囚われがちである。

また、嫌悪とは、「執着している何かが、自分の手に届かないと感じる」ときに、しばしば感じがちのものでもある。

ここ数年くらいは、こういった嫌悪感に関してシンプルなワークを自分で時々やってみた。私が採用した方法は、バイロン・ケイティのワークとセドナ・メソッドというワークだ。(バイロン・ケイティのワークとセドナ・メソッドの詳細については、参考図書を参照ください)

バイロン・ケイティのワークの中に、自分が二度と経験したくないことを書き出して、それをひっくり返すというものがある。

たとえば、
「私は二度とAを経験したくない」であれば、
「私はAをまた喜んで経験しよう」あるいは「私はAをまた経験することを楽しみにしている」

嫌悪だけでなく、怖れていることも含めて、全部書き出して、お風呂に入っているときなどに、声に出して言ってみる。声に出して、「私は喜んでAをまた経験しよう」を言えるようになると(言えないときは、無理する必要はなく、その項目は飛ばすことにしている)、不思議なことに少しずつ嫌悪感が消え、心が軽くなる。

そして、嫌悪感を感じることそのものへの抵抗感・嫌悪感を解消するために、こうもついでに付け加えることにしている。

「私はあらゆる嫌悪感を喜んで経験しよう」

参考図書
「探すのをやめたとき愛は見つかる」バイロン・ケイティ著 (創元社)

「人生を変える一番シンプルな方法」ヘイル・ドゥオスキン著 (主婦の友社)
思考ではなく、感情領域に直接働きかけ、否定的感情を解放するシンプルなセドナ・メソッドの本。

「振り子の法則」ヴァジム・ゼランド著(徳間書店)
昨年も本書ご紹介したが、嫌悪感も含め、何かに対する過剰な感情が、人生にどういう影響を与えるのかを物理的に説明している。

コメント

_ (未記入) ― 2010年08月27日 21時40分30秒

とても解り易く参考になりました。何故かバイロン・ケィティは数年前から気になっていた人です。

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