人間の道の祈り・神の道の祈り2011年02月16日 12時48分09秒

人間は、どんな人種、宗教、国籍、価値観であれ、祈る生き物である。キリスト教徒のように神に祈るかどうかは別としても、私たち日本人も祈る――神社仏閣、自分の家の仏壇、神棚、先祖の墓、その他の場所で、正月、お盆の時期、その他受験時期、就職時期、婚活時期、病気、困難がふりかかったときなどに。

私自身は昔から、ほとんど祈りを信じたことがなかったし、真剣に祈るというようないわゆる宗教的体質が私には欠けている。せいぜい、お盆と正月に、両親の家の仏壇・神棚、近所の神社、先祖の墓に手を合わせるくらいである(それも自分がそういう行為が好きというより、昔からの家族のしきたりに従っているにすぎない)。自分の願いを神仏に祈るくらいなら、自力を信じるほうがまだましとずっと思っていたものだ――若い頃の私にとっては、自力こそ自分の神仏であったのだ。

それでも昔は手を合わせるとき、「来年もみんなが元気で健康でありますように」くらいは祈ったと思うし、今まで「祈りのパワー」についての本も読んだことがある。長年考えたその結論として、「神仏、その他何に対しても、自分の願望を祈らないほうが、人生はシンプルで平和」という結論に至っている。

今は、神社、仏壇・神棚、先祖の墓に手を合わせるときはまったく何も思わないか、「今日もご飯をおいしくいただきました。ありがとうございます」とか、「お墓の掃除がきれいに終わってよかったです」とか、感謝の気持ちを思い浮かべる程度である。

本当のキリスト教徒であるJoel・Goldsmithは、人間に許される神への唯一の祈りとは、神にあれこれ個人的望みを嘆願するのではなく、どんな状況でもただ自分のうちに在る神(I=神なる私)との接触(Contact)だけであると言っている。だから、どんな状況でも沈黙してただ神との触れあいを祈るというか待つ――そのとき、神は、必要に応じて、人によって、実際の声、思考、直感、あるいは感覚、あるいは外側の現象として様々な形で現れるという。

バイロン・ケイティ(今年の春、来日予定だそうです)の本に、神に自分の望みを祈らず、嘆願しないで生きることの具体例がよく出ている。その一つをご紹介すると――

あるとき、彼女の結婚している娘が出産することになって、彼女は娘の夫の母親と二人で病院に付き添っていた。出産のとき何かトラブルがあったらしくて、関係者が心配してバタバタしているなか、彼女だけは頼まれた必要なことをする以外は悠然と微笑んで、自分の娘とまだ泣き声をあげない生まれたばかりの孫を愛おしそうに眺めていた。

心配にたまりかねて、娘の夫の母親が彼女に、「いっしょに神に祈りましょう」と言うと、バイロン・ケイティは、こう思うのだ――「すべては完璧なのに、どうして祈る必要があるでしょうか!」

娘の夫の母親の反応、「神にいっしょに祈りましょう」は、伝統的キリスト教徒の普通の行動、人間的反応であり、人間的愛情表現である。では心配しない、神に祈らない彼女は、娘と孫に愛情がないのだろうか? 

もちろんそうではなく、彼女は未来ではなく、今ここで百パーセントの愛情と気づきを自分の娘と孫に与えているのだ。一瞬後に孫が泣き声を上げるのか、それともこのまま泣き声をあげることなく亡くなってしまうのか、それは誰にもわからない。でも今のこの瞬間、彼女は状況を受け入れ、娘と孫といっしょにいる時間を最大に楽しんでいるのである。バイロン・ケイティの娘もあとで、「みんなが心配しているなか、お母さんだけが微笑んでいて、お母さんの顔を見ていたら、何があっても大丈夫だという気になった」と言ったという。ほどなく、孫娘は無事泣き声を上げ、その後、元気にすくすくと育ったそうである。

個人的な願いを祈ることは人間的な道である。祈らないことは神の道である。さて、どちらのほうが平和で幸福な道か――どちらがいいと簡単に信じたりせず(そんなに簡単には納得できない話題であろうから)、心を開いて実験、練習することを皆様にはお勧めしたい。

神の道の教えを説く「奇跡のコース」では、こう書かれている

「欠如は、今置かれた状況よりも何か別の状況にあったほうが良いことを暗示しています」。(「奇跡のコース」15ページ「必要性という幻想」より)

少しわかりにくい日本語だが、意訳すれば、「欠如とは、人が今とは別の状態にいたら、幸福だろうということを暗に意味しています」ぐらいの意味であろう。つまり、「自分が今とは別の状態にいたら、幸福なのに」と思うことが、欠如なのである。先ほどのバイロン・ケイティの例でいえば、彼女は、「孫がこんな状況でなかったら、私は幸福なのに」という思いから解放されていて、それゆえ欠如からも解放されていたのである。

参考図書

「奇跡のコース(ナチュラルスピリット発行)
「探すのをやめたとき愛はみつかる」(バイロン・ケイティ著 創元社発行)