「すべては幻想」という観念の魔境 ― 2014年03月22日 07時43分48秒
話をしているとき、よくこんなことを言う人がいる。「すべては幻想である。親も子供も幻想だし、仕事も重要じゃないし、意味がない」。相手の方が会話の中でそんな感じで「幻想」という言葉を連呼し、多用するとき、私は思うのである。「ああ、この方もある種の魔境に入ってしまったようだ」と。 「すべては 幻想」という観念の魔境は、霊的探求者によく起こりうる病気のようなものである。
その原因の一つは、スピリチュアルな多くの本で、「現象は幻想である」「肉体は幻想である」「人生は夢である」と書かれているせいで、私たちはこういった思考を信じ、それらをある種マントラのように使うからだ。
しかし、「幻想」という言葉が連呼される状況で私がよく感じることは、その背後に強い「現象の否定」があるということである。非二元アドヴァイタ系の教えに親しんでいる人たちの中では、何か辛い耐えがたい出来事が起こったか、そういった状況の中にいるとき、「すべては幻想 」という観念を鎮痛剤のように使う傾向がある。
そもそも、「幻想」の定義について、それぞれの賢者はそれぞれの表現で「幻想とはこういう意味です」と言っているが、色々な本を読めば読むほどさらなる混乱に深入りすることは間違いないことである。
ラメッシの「意識は語る」の本の中でも、「幻想」という言葉が120個近く使われ、「現象が幻想である」ことについて、多くの議論がなされているが、おそらくそのあたりの話は多くの読者にとってはわかりやすい議論ではない。
たった一つ重要で確実なことは、私たちが現象を現実であると信じていても、幻想であると信じていても、どちらの観念を信じていても、私たちは現象から、そして現象がもたらす苦しみと喜びから逃れられないという事実である。そして、私たちが「すべては幻想である」と繰り返し唱えたからといって、人生の苦痛が減り、人生がよりうまくいくわけでもないのである――むしろその観念をマントラにように使っていると、心身のレベルでトラブルを引き起こす可能性がある。
その理由は、実は「現象は幻想である」は半分の真理であり、半分の真理は百パーセントの嘘よりも、大きな危険があるからだ。
アジャシャンティはこう指摘している。
「ここまでこれら二つの声明が真実であることを見てきました。『世界は幻想である』『ブラフマンだけが現実である』。しかし、三番目の声明『世界はブラフマンである』がなければ、私たちは本当の非二元を経験しないことでしょう。 『世界はブラフマンである』というその声明の中で、私たちは真に一つであることの目覚めを経験するのです。」(「あなたの世界の終わり」P112 )
「世界はブラフマンである」の観点から見れば(ダグラス・ハーディングの実験が教えることはそのことである)、私たちが経験するものは、十分現実である――人間関係も仕事も、自然現象も、頭痛も胃痛も、その他すべての現象も。大げさに言ってしまえば、あらゆることは神(ブラフマン)の顕現である。私がたった今食べたばかりの朝食のご飯や味噌汁、食後のリンゴでさえ。なので、あらゆる瞬間に起こることに注意を払い、それらに背を背けることなく、私たちは目の前の現象と関わり、現象の中で与えられている役割を十分に果たす必要がある。
「夢の人生」に関連して、インドの賢者プンジャジ(「覚醒の炎」の本が日本では出版されている)の人生に起こったことで、私が非常に好きな話がある。それは彼が弟子として、師であるラマナ・マハルシのアシュラムに滞在していた若い頃の話である。
プンジャジはラマナ・マハルシに出会って「恋に落ち」、もう家族のこともその他のこともどうでもよくなり、すべてを捨てて、ラマナ・マハルシのところで一生を過ごすつもりだった。ところが、あるとき故郷から連絡が来て、それは、「家族が住む町に戦乱が起こり、家族が大変な状況にいるから、すぐに戻って来い」 という知らせであった(彼には妻子と両親がいて、大家族の面倒を見るべき一族の長の立場にあった)。プンジャジはそんな知らせを受け取っても、「あれは夢の家族で、もうどうでもいい」 と心も動かず、故郷へ帰ろうともしなかった。
その話を聞きつけたラマナはプンジャジを呼び尋ねた。「なぜあなたは家族が大変だというのに、故郷へ帰らないのですか?」。プンジャジは答えた。「あれは夢の両親で、夢の妻子で、もう私にはどうでもいいのです。私にとってはあなたがすべてです」。すると、ラマナは言った。「だったら、あなたはその夢の中で、夢の息子、夢の夫と父親の役をちゃんと果たしなさい」。ラマナの断固たる言葉を聞いて、それに絶対に抗えないものを感じたプンジャジは故郷に帰ることにし、しかも生きている間にもう二度とラマナに会えない運命も悟ったという。
この話はラマナ・マハルシの知恵を示す美しい話であり、これをちょうど読んだ時期に私にも必要なメッセージとして心に残ったものである。
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