最近読んだ本から2012年05月01日 08時03分00秒

「密閉国家に生きる」バーバラ・デミック(中央公論新社)
アメリカのジャーナリストが、北朝鮮から脱北してきた人々へのインタヴューを元に、北朝鮮の普通の人々の生活を描いた本。本書によると、日本のテレビにたまに映るピョンヤン以外の地方の様子は、まるで日本の敗戦直後か、それよりももっとひどい状態である。死体がころがり、孤児、売春婦がうろつき、人々は飢えと必死で戦っている。気が弱い者たちは、その戦いに負けて死に、気が強い者たちは、たくましく闇市場で儲けるか、脱北を試みる。こういう本を読むと、実質すでにシステムが崩壊している国が、なぜいまだ国家として成り立っているのかという疑問が残る。たぶん、政治的な意図で、中国やアメリカが必死で支えているのだろうが、もういつまでもつかのかという感じである。

「幸せなご臨終」中村仁一 (講談社)
もしこの著者の本を、父が倒れる前に読んだなら、父の介護・看病もまた違ったものになったかもしれないと思った。著者は、介護・看病の現場で蔓延している介護される側に迷惑な親切と延命治療について警告している――父の場合、特別な延命治療はしなかったものの、あとで思い返すと、「迷惑な親切」で、かえって苦しめた場合があったのかもしれない。

「人は食べることができなくなったら、自然に食べないままにしておくのが、一番苦しみがない」と著者の考えは、たぶんそうなのだ。それにもかかわらず、まわりで介護する側が、「食べさせること=善」、あるいは「少しでも長く生きること=善」という呪縛から逃れることが、とても難しいのである。たぶん、一番いいのは、自分(の人間マシン)をどういう状態で死なせたいのかを、元気なうちに身近な人に遺言しておくことであろう。人工呼吸等の延命治療、栄養点滴、胃ろう、心臓マッサージ等々をやるのかどうか……そういったものをできるだけやらないほうが、「幸せなご臨終」を迎えられそうだと、私自身はそう思っている。

「歪笑小説」 東野圭吾 (集英社)
どんな業界にも「裏の世界」というか、「裏の顔」があるということを、人は生きていくなかで、悲しくも知ることになる。出版業界もその例外ではない。一般にはハイブラウ(学問・教養のある人たち)の世界であるというイメージがあるが、中味はけっこうサルの世界だったりもする(ようだ)。サルたちが自分たちはハイブラウな人間でハイブラウな仕事をしていると思いこむとき、観察眼のある人たちが見たら、けっこう笑える話がたくさんみつかるのだ。「歪笑小説」は、大手出版界のそんな作家センセイたちと編集者たちが織り成す抱腹絶倒の日々を、おそらく著者の実体験もかなり交えながら、描いた短編集。

「1Q84」 村上春樹 (新潮社)
やっと「1Q84」を読み終えた。第一巻は発売直後に買って読んで、その時点ではまだ続きを読もうという情熱があり、でも、買ってまで読むこともないだろうと思い、ずっと図書館の本を待って、ようやく2巻、3巻を続けて読むことができた。正直な話、私は村上春樹さんの小説のファンではなく(彼のエッセイは、小説よりはるかに面白く読めるが)、彼の小説を面白く読めたことがない。それでも「1Q84」を読んでみようと思ったのは、「1Q84」発売直後のインタヴューで、彼が、「ノルウェーの森」は自分が本当に書きたかった小説ではなく、「1Q84」こそ、自分が本当に書きたかった小説だと言ったからだ。

それから、同じインタビューで、彼は自分の文学的野心についてこう語った。「時代を経て、長い間読まれる文学(小説)は、文章が読みにくいものが多い。一方大衆文学は読みやすいが、歴史には残らない。私は、読みやすく、かつ長い間読み継がれる小説を目指している」と、まあだいたいこんなような主旨の内容だったと思う。これはものすごい文学的野心だ。読みにくい小説でかつ長い間読み継がれている小説といえば、たとえば、「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)とか、(おそらく「1Q84」というタイトルはここから来たと思われる)「1984年」(ジョージ・オウエル)とか、「嵐が丘」(エミリー・ブロンテ)、あるいは、日本人の小説家であれば、夏目漱石などが私には思い浮かぶ。

で、「1Q84」の読後感であるが、「なんだかなあ……」という感じである。文句なく読みやすく、ミステリー小説のようにスラスラ読めたが、だけど、やっぱり「なんだかなあ……」なのである。読みにくいけれど、時代を経て読まれる小説にはたいてい存在する「ガツン」というインパクトがない――少なくとも、私にとっては。残念なことに、私には彼の小説を読み解いたり、面白いと感じるセンスがないのだ。

大雑把な印象でいえば、村上さんは、文化や国を超えて、現代という時代の底を流れる人々の心象風景を絵画のように切り取ってスタイリッシュに(かっこよく)描くのが非常にうまいとは言えると思うし、だから、彼の小説は世界中で読まれるのではあろうけれど。

「あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」アルバート・J・バーンスタイン (角川書店)
世の中には非常に魅力的でカリスマ的でさえあるのに、なぜか関わる人たちを非常に疲れさせる人たちがいる。著者は、他人の感情をたくさん吸うことで、生き生きするような人たちをEmotional Vampire (感情吸血鬼)と名づけ、彼らの手口とその対策を本書で紹介している。感情吸血鬼の人たちが、無能で、引きこもっているようなタイプであれば、それほど被害はないのだろうが、彼らは非常に活動的で、ある意味で有能で(有能に見せる能力があり)、社会のあらゆる領域に生息していて(中には社会的に地位の高い人たちもいる)、人に非常に好かれる性質をも合わせもっていることが、知らずに「被害」が拡大する原因ともなる。

本書では、感情吸血鬼を、反社会的吸血鬼、演技性吸血鬼、自己愛性吸血鬼、強迫性吸血鬼、偏執性吸血鬼の五種類に分類している。吸血鬼の活動は、必ずしもいつも反社会的なわけではなく、偉業になったり、悪業になったり、様々である。共通していることは、彼らと関わるまわりの人たちは疲れ果て、混乱し、干上がってしまうということである。

昨年亡くなったアップル社のスティーブ・ジョブズ氏の伝記を読んでいたら、彼はまさにこの中の自己愛性吸血鬼のタイプだということがわかった。本書の説明によれば、自己愛性吸血鬼とは、「私しか見えないタイプ。自分は世界一賢く、才能にあふれていると信じている。歴史に名を残す偉業を達成するのはこのタイプ」である。確かにスティーブ・ジョブズ氏は「歴史に名を残す偉業を達成した」。

それから、最近目についた吸血鬼としては、出会い系サイトで知り合った何人かの男性を騙してお金を巻き上げて殺した罪で、死刑判決が出た女性だ。彼女は、自己愛性吸血鬼と演技性吸血鬼(永遠のヒロインタイプ。スポットライトを浴びていないと死んでしまう。誰もが思わず惹きつけられる強烈な魅力の持ち主)の混合タイプで、やはり「悪業」によって歴史に名を残した。「1Q84」に登場する新興宗教の導師は、自己愛性吸血鬼と偏執性吸血鬼(陰謀がポリシータイプ。目に見えないことやありもしないことを信じる。偉大や宗教家や哲学者、芸術家はこのタイプ)の混合タイプである。

スピリチュアルな世界では、「自分を愛する」ことを強調するあまり、一歩間違って、「自分を愛する=エゴを甘やかす」と錯覚すると、自己愛性吸血鬼に感染しやすい。このことはよく心したいものである。

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http://www.adyashanti.org

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(下記サイトに本の目次が掲載されています)
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