The Thunder of Silence(5) ― 2022年12月09日 06時50分14秒
[イベント]
オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2022年12月15日(木曜日)午後2時から午後4時
↑上記の会は受付終了しました
2022年12月18日(日曜日)午前9時から午前11時
イエス・キリストの教えの中でもっとも重要だとされている山上の垂訓、正直に言えば、私は今でもこのメッセージが苦手だ。
「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」、「下着を取られたら、上着も与えよ」、何度読んでも、とうてい今の自分には無理無理無理!と感じる。山上の垂訓は、これはもう、スズメバチの巣を踏んで襲われたとき、「私があなた方の家を壊したのが悪かったのです。どうぞ好きなだけ、私の足を刺してもいいですよ」と微笑みながら言ったラマナ・マハルシのレベルである。
ただ、ジョエル・ゴールドスミスのおかげで、イエス・キリストがこのメッセージにこめた真意は理解できた(と思う)ので、いつかは神の恩寵によって、このメッセージの実践レベルが初級→中級→上級→超上級(イエス・キリストやラマナ・マハルシレベル)へと進化する希望はある。
ジョエル・ゴールドスミス自身も、理解のない未熟な状態で、山上の垂訓を実践してはいけない、と警告している。
そもそも、キリスト教的な「許せ、人を愛せ」という熱いメッセージそのものが私は苦手だ。だからこそ、「――せよ」という道徳的戒律を一切教えに入れない先生である、ダグラス・ハーディングやニサルガダッタ・マハラジやラメッシ・バルセカールが好きなのだと思う。
ダグラス・ハーディングは、他者への慈悲や愛情を人為的に育成するワークや修行はどこか不自然なところがあると考えていた。そして、他者への慈悲や愛情は、自分とは何かを見るそのヴィジョンの結果、自然に生まれるものだと強調した。
ラメッシ・バルセカールは、人が他者に慈悲や愛情を示すことができるかどうかは、その人のプログラミングと神の意志にかかっていると考えていたし、ニサルガダッタ・マハラジは自分のサットサンで宗教的戒律や道徳の話題を避けていた。
つまり、彼らの教えと考えは、「慈悲とか愛情とか許しの感情は、湧くときは湧く。湧かないときは、湧かない」、こういったものは、人の意志でコントロールできない、ということである。私にはこういった考えのほうが、自分にははるかになじむ。それにこういう教えのほうが、「自分は慈悲深い人間である」とか、「許すことができる人間である」というようなさらなるプライドをいだかずにすむ気がする。
前回紹介したロバート・アダムスは、どちらかと言えば、愛情と慈悲を積極的に育成することを勧める立場に立っている。その理由は昨年、『ハートの静寂』の紹介のときに説明したように、彼はインド系アドバイタや非二元系の教えにはまっている人たちが、知的理解に満足して、自分の快適さだけに留まる人が多いのを見てきたからだと思う。
彼の言う「慈悲と許しはカルマよりも強力である」はたぶん本当のことだ。だから自分の(悪い)カルマを解消するためにも、できるかぎり許したほうがいいし、慈悲をもったほうがいいのは確かである……そうできるときには。
長い人生の間には、思い出せば、慈悲や許しの感情をもったほうがいい状況で、そういった感情とそれにもとづく行為が、どうしても出てこなかったときがあった。たぶん、それによって悪いカルマがさらに蓄積されたかもしれないが、人はその時々の自分のレベルの「許しや慈悲」を生きるしかないし、「慈悲のない、許しのない自分」を悲しみをもって受容するしかないのだと思う。
それが現在まで「許しや慈悲」に関して、私が到達した理解である。
今回で、ジョエル・ゴールドスミスのThe Thunder of Silence(静寂の雷鳴)(本の実際のタイトルは変更の可能性があります)の紹介を終わりにします。本書は、モーセの教えから始まって、それがイエス・キリストの教えに生まれ変わり、さらにそれがキリスト教の教会の教えになって現代に至るまでの、ユダヤ教・キリスト教の変遷(と堕落)もとてもよく説明されていて、歴史の勉強にもなります。ぜひ多くの皆さんに読んでいただければ、うれしく思います(出版時期、タイトル、価格が決まりましたら改めてお知らせします)。
「存在する唯一の力は、神との意識的融合であり、スピリチュアルなパワーの本質を理解することにあります。私たちがその理解をもつとき、神とともにあるものは多数派になるのです」
The Thunder of Silence(はじめに)より
[新刊発売]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです
会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)
『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)
by シンプル堂 [読書] [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
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