ラメッシの教え(2)――「すべては神の意志」2010年07月30日 11時18分40秒

前回に引き続いて、今回も「すべては神の意志」という観念について。

ラメッシは、「聖者、賢者、聖典、その他どんな人が語る観念(言葉)も、真実ではなく、観念にすぎない。観念が真実となるのは、経験の中でそれを実証したときだけである」とあらゆる機会に述べている。

ラメッシは、「すべては神の意志」を検証する一つの方法として、寝る前の30分間、行為の分析、つまり、一日とか過去半年間の自分の行為が、自分の意志による行為だったのか、それとも、何かの流れでそういうことが起ったのかを分析するサドハナ(修行)を、本の中で勧めている。

私自身はこの分析修行は向かない(やっていると眠くなるので)、代わりにダグラス(・ハーディング)の実験をやり、中心には個人的自己がいないことを見るという一回1秒ですむ実験を一日に何回もやる。

そして、「すべては神の意志」が自分の中でしだいに実証されていけば、その結果は、ラメッシの言うように、「罪悪感、プライド、憎しみ、嫉妬」が減少し、平和である時間が増え、平和であれば、仕事やその他も能率的にやることができ(あれこれ余計なことを考えないため)、自然と楽しく自由な人生になる――と、まあ、だいたいこういうプロセスになるわけである。

今日読んでいたラメッシの本の中で、彼は、霊性の基本は、「くつろいだ自由」であり、決して、罪悪感と重荷(ストレス)をもたらすものではないと非常に強調している。

私の経験によれば、「すべては神の意志」が「くつろいだ自由」になるのは、「すべては神の意志」を信じることによってではなく、「すべては神の意志」が事実であることを、検証によってしだいに確信するようになるときである。

ラメッシの教えに限らないが、スピリチュアルな道を歩く人は、どんな偉い先生や権威のある人の言葉でも、鵜呑みに信じてはいけないのである。仏陀の辞世の言葉とされる「自灯明=自分自ら灯りをともして、光を照らせ」は、いつの時代、どんな場所でも、スピリチュアルな教えに関わるすべての人に向けられるものだ――誰の言葉も安易に信じることなく、誰を頼ることもなく、最終的には自分で真理を発見し、自分で発見した真理の光で人生を照らせ――「自灯明」というその言葉を、私はそう解釈している。