「ハインリッヒの法則」2010年09月21日 09時40分34秒

前回は、有名な「ピーターの法則」(民主党の小沢さんは運よく無能レベルに出世しなかったので、彼はこれからも有能に活躍されることであろう)をご紹介したが、ついでに今回は、それに劣らず産業界ではよく知られている(が、あまり理解さていないような)法則、「ハインリッヒの法則」をご紹介してみよう。

それは1930年代、保険会社に勤めていたハインリッヒさんという人が発見した法則で、1件の重大事故の背後に、29件の軽傷の事故と300件の「ヒヤリ」「ハッと」する体験があるという法則だ。別名「ヒヤリハット」の法則、「1:29:300の法則」とも呼ばれている。

それは、たとえば、工場の大火事とか、企業の情報漏えいとか、社員の不祥事とか、医療ミスとか、マスコミで報じられる大事件、重大事故が起きたときには、たぶん、その組織内で、それ以前に、軽度の事故、トラブルが29件くらい、さらに300件くらいの「ヒヤリ」としたり「ハッと」したりする経験があったはずだ、というものだ。

「ヒヤリ」としたり「ハッと」するとき、「これはまずい」と思う人が企業内にいて、対策を立てれば、それは軽度・重度のトラブルに発展しないですむが、「ヒヤリ」「ハッと」を無視していると、軽度のトラブル・事故・事件へ発展し、軽度のものも無視していると、さらに重大なトラブル・事故・事件に発展する――数字の割合がどれくらい精確かは、私には実証できないが、でもこの法則が当てはまった事例はあちこちでよく見かける。

この法則は、企業だけでなく、家庭とか、あるいは単に一個の肉体精神機構(人間)にも当てはまることである――小さいミス、小さい不調、小さいトラブル(それはある種の警告のようなものだ)を無視していると、もっと大きなミスやトラブル・事故に巻き込まれやすい。

「ハインリッヒの法則」は一般常識として知っておくと、特に組織で働いている人には役立つだろうし、またスピリチュアルな教えを学んでいる人も、よくこの法則を理解し、警告が来たら無視しないことをお勧めする。

なぜかというと、スピリチュアルな人たちがよく使う観念、「あるがまま」とか、「起こることは神の意志」とか、「現象は幻想である」とか、「人生に問題はない」、こういった観念がしばしばネガティブに影響する結果、小さいミスやトラブルを無視して、大きなミスやトラブルに巻き込まれてしまう人たちがけっこういるからである――起きたことなんて、たいしたことないさ、だって、幻想だし、それに神の意志だし、私の責任じゃないし―みたいな(笑)

しかしまあ、スピリチュアルな道にいる人に関しては、事故・トラブル・極度の精神的苦痛のさなかに、神秘体験とか覚醒体験をする人も非常に多くいて、特にここ10年くらいそういう話を私はよく読んだものだ――主に、アメリカ人の話であるが――交通事故、大病、犯罪で刑務所に入る、破産、アルコール中毒・ドラッグ中毒等々。皆さんもよくご存知のバイロン・ケイテイは、極度のうつ病と肥満に苦しみに、肥満治療の施設で覚醒体験をしたのは有名な話だ。

だから、平穏無事ではなくて、ジェットコースター的人生をお好みなら、「ハインリッヒの法則」的生き方もスピリチュアル的には悪くないです――たぶん。


コメント

_ ao ― 2010年09月21日 17時27分37秒

ハインリッヒの法則とはちょっとズレてしまうのですが、出来たら高木さんに聞いてみたいと思っていたことがあり、書かせて頂きました。

知り合いにスピリチュアル系の会社を経営している女性がいるのですが、ある風水師と出会ってから、その方に会社をのっとられてしまいました。
周りはその状況を心配したり、どんどん風水師によって新興宗教化していく会社から離れて行ったりしているのですが、本人は毎日「私はハッピー」というアファメーション(?)をしていて、全てを神に委ね、人事を尽くして天命を待つと考えているようです。

私は説得できないだろうけどメールを送ってみようかなど考えましたが、結局これも神が行っていることだから、見ていればいいのかなという考えに達していました。
やはりこれは彼女がジェットコースター的人生に進んで行ったので、周りがとやかく言うことではないのでしょうか。

ちなみに彼女が大事にしていた観念は、善悪の判断をしない、全ては愛ということでした。

私はまだ善悪の判断をしてしまうので、もやもやしつつ見ている状態なのですが、「善悪の判断をしない」というのは、違う次元の精神状態に行かないと難しいのでしょうね。。

新興宗教じゃなくても、麻薬にはまっている人など人間社会的に悪い方へ向っている人が近くにいた場合、高木さんはどのような対処をするのか、もし聞かせて頂けたら有難いです。

_ シンプル堂 ― 2010年09月24日 08時20分41秒

ao様

人は、他人のアドバイスや意見はまず聞かない、特にその人がスピリチュアル系、しかも社長さんなら、まずほとんど他人の意見やアドバイスを聞かないです(笑)。だから、仕事上の利害関係でもないかぎり、放っておくのがお互いにストレスがないだろうと思います。

私は原則的には、人のことは放っておく主義です。私たちは、頼まれないかぎり、誰も他人の人生に介入する権利をもっていないと思います。

しかし、一方、仕事とか自分が関わっている物事に関してとか、あるいは、未成年の親であれば、人間的レベルでは「善悪の判断をしなければならない」ことは、たくさんあります。また立場によっては、人に、「こうしてください」「それはしないでください」と、言わなければならないことも多々あると思います。

だから、「善悪の判断をしない」という観念も、非常に誤用される観念です。「善悪の判断をしない」というのは、自分が関わっている状況に対して、「必要なことを何もしないこと」と、誤解している人たちがたくさんいます。

私が説明に使う例は、テープルの上でコップの水がこぼれたとき、「あ、水、こぼれちゃった。神の意志だし、仕方ないし、別に悪いことじゃないし」と放っておくと、水はテープルにあふれて、さらには床にもこぼれてしまいます(=状況の悪化)。しかし、「水がこぼれたときは」、すぐに拭くのが、状況にとって必要なことです。「覆水盆に返らず」ですが、覆水を拭くことはできます。

「善悪の判断をしない」というのは、神のレベルでは「水がこぼれたことは、個人的誰のせいでもない」という認識をもって(人間レベルでは、もちろん個人的責任者がいます)、人間レベルでは状況において必要なことをすること、私はそう理解しています。

「善悪の判断をしない」という観念は、非常に高尚な観念で、多くの人たちが「観念負け」し、この観念の誤用で、挫折を味わいます。私は、「善悪の判断をしない」より、むしろまず「適切な判断をする」ということを、先に学ぶほうがいいかもしれないと思っています。

_ ao ― 2010年09月24日 12時40分20秒

シンプル堂様

コメントを返して頂いて、本当にありがとうございました。
勝手な解釈をしたままだと危険な観念て結構ありますね。
ずっとこの「判断」についても腑に落ちずにいたので、とてもすっきりしました。
長々とお礼を書いてしまいそうだったのですが、やめておきますね。。
ありがとうございましたm(_ _)m

_ マサカズ ― 2010年10月03日 11時22分13秒

言葉って難しいです。
そもそも肉体に宿る以上
この世界では「基本的に」言語や文字で
宇宙に満ちている観念(法則)を理解するわけですが
捕らえ方が人それぞれであるし
法則はそもそも言葉にするのが無理です。
全体の1割も表してないと思います。
本だけを読んでテニスを語ることが出来ないよう
それは体験する必要があります。
本を読むのは好きですが、その後に体験があって
初めてその意味を理解できる感じです。
私にとって活字という記号に置き換えられた
「善悪の判断をしない」という智慧は
非常に危険でもあり安易に使えるものではないです。

今では簡単に崇高な教えが書籍の中で活字に置き換えられ
大量に印刷され手にすることが出来ますが
行き過ぎた解釈が後を絶たない気もします。
密教の意味も理解できる気がします。

「ハインリッヒの法則」
今回の検事の事件
に当てはめるとゾッとします。

最近車の運転で、「ヒヤリハッと!」
初心に帰って安全運転で参ります~。

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