私がいない! ― 2023年07月02日 09時04分07秒
皆様、暑中・大雨、お見舞い申し上げます。
[イベント]
*ジョエル・ゴールドスミス「The Thunder of Silence」(正式タイトル未定)が、
8月下旬出版予定となりました。今後、タイトル、価格が決まりましたら、順次お知らせします。
8月下旬出版予定となりました。今後、タイトル、価格が決まりましたら、順次お知らせします。
*1994年10月に、バーソロミューが東京でおこなったワークショップの記録を下記で公開しています
(英語と日本語通訳の音声と日本語字幕付き)。現在(1)から(11)まで公開中。
先日の晩のことだ。夜の11時頃に、隣の部屋から母の叫び声が聞こえてきた。私が母の部屋へ行くと、母がベッドに腰かけて、何か叫んでいる。
よく聞くと、「私がいない。不思議だ。私を探しにいかなくちゃ。どこへ行けばいいのか、わからないから、困っている。もしかしたら、私は死んだのかもしれない」みたいな言葉を繰り返している。
母が夜に目を覚ましたときに、叫ぶことはよくあることで、いつもはたいてい、「お腹すいた」、「夕食食べてない」、「(オ)シッコに行きたい」、「誰もそばにいない」、「〇〇さん(母の昔の友人の名前)に会いに行く」というような、ごく日常的な平凡な言葉だ。それが先日の晩は、「私はいない。不思議だ。私を探しにいかなくちゃ」と、いきなり形而上学的スピリチュアル的悩み(笑)になっている。
母はスピリチュアルとか宗教とか、人間の心理にさえまったく関心がなく、非常に外向きな人だったで、今まで母から「私」に関する悩みや言葉など聞いたことがない。私は生涯初めて母から聞いたその形而上学的言葉にびっくりし、「ほら、お母さんの『私』はそこにいるよ」と言いながら、母にわかるように、母の体を強く触りながら言った。それでも母は、「違う、違う。私がいない。私は死んだのかもしれないけど、向こうにいるかもしれないから、探しに行く」と言い張り、立ち上がって、部屋から出ようとする。
なんとか説得して、ベッドに戻しても、まだ「私がいない。不思議だ。探しにいかなくちゃ」を繰り返し、そうこうしているうちに疲れて寝入ってしまった。
介護は大変なことも多いけど、時々可笑しいことが起こる。母をここ数年間見てきて思うことは、人間の精神は非常に複雑で、その中にたくさんの人格があるということである。私が「母」として知っていた人は、そのほんの一部であったことがわかる。今は、母という人格は完全に、それこそ「死んで」しまっている。
今後また母が「私がいない!」と言うのかどうかはわからないけど、最晩年、母からスピリチュアルな人格が出てきて(笑)、「私」をめぐって会話ができたら、楽しいかもしれない。
[昨年の発売された本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです
会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)
『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)
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