神がいない風景2023年08月07日 10時28分55秒

[お知らせ]

*ジョエル・ゴールドスミス「The Thunder of Silence」が、『静寂の雷鳴』というタイトルで、
8月中旬発売予定となりました。

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット


*1994年10月に、バーソロミューが東京でおこなったワークショップの記録を下記で公開しています
(英語と日本語通訳の音声と日本語字幕付き)。現在(1)から(16)まで公開中。


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皆様、猛暑お見舞い申し上げます。


ジョエル・ゴールドスミスの本が、ようやく今月中旬に発売されることとなった。「赦し」とか「カルマ」とか、イエス・キリストの山上の垂訓とか、テーマが「熱すぎる」(笑)と感じる方は、購入して、少し涼しくなってから、読んでもらえればうれしく思います。

今回、最後に、本書『静寂の雷鳴』の中で、私が非常に印象を受けた彼の言葉を紹介しよう。それは:

「神は存在するが、人間的風景の中には神はいない」

その前後の部分を引用すれば:

「神のパワーはそれができるすべてをすでにやっていて、それは意識のエデン的状態の中で活動していますが、二つのパワーの世界の中では活動することができません。ですから、私たちや私たちの隣人たちがどれほど善人で道徳的で善意の人であっても、私たちも彼らも罪、死、事故、戦争を免れないのです。何度も何度も次の質問が尋ねられてきました。「もし神がいるなら、どうしてこんなことが可能なのか?」と。その答えは驚くべきものです――「神は存在するが、人間的風景の中には神はいない」。創世記の第2章に神はいません。原因と結果の法則――カルマの法則――である主神だけがいるのです。私たちが原因と結果の法則を超えるとき、もはや法則の下ではなく、恩寵の下、言い換えるなら、創世記の第1章の中で生きていて、そこには人間的悪も人間的善も存在しません。罪もなく、純潔もなく、ただ神だけが存在します」( 8 章 「わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい」)

ジョエル・ゴールドスミスが上記の引用で言っている「人間的風景」とは、「二つのパワー、善悪のパワーが戦っている風景」、さらにもっと具体的に言えば、私たちがマインドの中で、「私は正しく、お前は間違っている」という「私」対「あなた」の戦争をしているとき、そして、世界の一部を激しく否定している(憎んでいる)ときのことである。そういうマインド風景のときには、「そこには神はいない」。

さて、神は普遍的存在であり、どこでもいつでも誰の背後にもいるはずなのに、これはどういうことだろうか?

「神は存在するが、人間的風景の中には神はいない」――この言葉をもっと正確に言えば、「神は存在するが、人間的風景な中では神(の恩寵)は働くことはできない」ということであろう。

つまり、神(の恩寵)は、私たちの「個人的意志=物事はこうあるべき」というような意志や「利己的欲得」があるところでは、働かないということでもある。だからこそ、ジョエル・ゴールドスミスは、たとえば、「どうか神様、私に〇〇を送ってください」というような、あるいは、「どうか神様、私たちに勝利をもたらしてください」というような嘆願的祈りは、神に届かないと言っているのである。

神様にお出ましいただくためには、私たちのほうで人間的風景から抜け出し(=物事の善悪判断を手放す)、神がいるところへ行かねばならないということであり、ここで役立つ概念は、「明け渡し」である。私的に言えば、「神様、この状況は仕方ありませんね」と常にあきらめる(笑)。長い人生の経験から言えば、(悪いと思われる)状況に抵抗しなければ、なんとかそれを切り抜ける知恵とパワー(神の恩寵)が出て来る感じ……である(神がどこにいるか確信できない方は、『存在し、存在しない、それが答えだ』(ナチュラルスピリット発行)の第14章「神を信じること」で、ダグラス・ハーディングが間違えようもなく、その場所を正確に説明しているので、参照いただければと思う)。

「神は存在するが、人間的風景の中には神はいない」


[昨年の発売された本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト


海外の方は、USアマゾンからもダウンロードできます。
『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』
https://www.amazon.com/dp/B0BBBW2L8B/ 

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うためにhttps://www.amazon.com/dp/B0BC5192VC/


『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)