いつのまにか母系社会の日本2011年09月03日 10時16分41秒

私の両親も含めて、娘と暮らしている老親が最近は目につく。娘の形態は、シングル、シングルマザー、結婚して子供がいる、など様々であるが、どの形態の娘でも、たいていうまくいっていて、親も子(娘)も楽しそうである。

私が子供の頃、日本は父系社会だと言われ、つまり、家の跡を継ぐのは男で、親の面倒を見るのも男(特に長男)で、息子の生まれない家庭はかわいそうだと思われたものだ。あれから半世紀、日本もすっかり様変わりして、「娘が多い」ことは、いつのまにか「価値あること」になってしまった。今では私の高齢の両親は、親戚にも、近所にも、病院でもたいていこう言われる。「お宅は、娘さんが多くていいいですね」。つまり、世話や介護をする人員がたくさんいて、いいですね、という意味だ。

しかし、また今から数十年後はどうなるかは、誰にもわからない。「人生、万事塞翁が馬」、つまり、いつだって、不利なことは有利なことに代わり、有利なことは不利に代わり、また不利なことが有利にかわる、のである。未来の展開など誰にも本当は予測もつかないので、だから人は、ただ自分が今もっているもの(家族であれ、仕事であれ、その他何であれ、そして特に一番大事なものは、「私は在る」という「気づき」である)を喜び、縁のある者同士が、お互いを助け合って生きるのが、一番平和で楽しいことなのである。

まだ寝たきりでも、認知症でもない私の老親も、さすがに最近はピンピン元気ともいえなくなり、ピン元気程度の日々を送るようになった。先日も、父が、持病が悪化して入院し、医者から特別な延命治療をするかどうか尋ねられた。私たちは日ごろから、「不自然な延命治療はしない」と決めていたので、父の自然の生命力と普通の医学的処置に任せたいと伝え、集中治療室で家族全員が父を見守っていた。父は一時、「三途の川を渡りかけて」いたようだったが、なんとか持ち直して徐々に回復した。

普段は人からあれこれ世話をされるのをそれほど好まない父も、入院中は、家族の愛情と世話(家族が、交替で病院に通って、父が再び普通の生活を送れるように、父の体をマッサージし、励まし、話し相手になっている)をとても喜んでいる。父と私たち娘たちは、性格的にはお互いに面と向かって愛情表現をするようなタイプではないので――いつもはお互いに「辛口」である――父が生き返って、こういう形で父に愛情と感謝を表現する機会が与えられたことは、本当に神の慈悲ともいえるようなことだった。




コメント

_ 中 ― 2011年09月04日 16時14分53秒

落ち着いたいい話をありがとうがざいました。

_ 匿名希望 ― 2011年09月20日 15時19分29秒

子供が男の子でも女の子でもどちらでも大事な存在だとおもいます。
そして介護してもらえるから女の子がいいとか理解できません。
自分の子供であっても個々の人間です。
いつまでも親の言いなりではないし介護してもう為の奴隷でもありません。
もしそうしてもらいたければ親も子供に精いっぱいの愛情を注ぎ信頼関係を築きあげてほしいものです。
自己中心的な親が多すぎると思います。

_ るるる ― 2011年10月25日 16時59分19秒

シンプル堂さんがおっしゃるように、子供は女がいいなんて豊かな時代の象徴、単なる流行でしょう。
親は目いっぱいの愛情注いだつもりでも、子供にとっては迷惑なこともあるわけで、どっちもどっち┐(´-`;)┌
あ、本筋から離れましたね。。。

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